2016.02.12
# 雑誌

前田智徳ロングインタビュー
「あなたがいたから、プロで24年やれました」

元広島スカウト宮川孝雄氏に捧ぐ
週刊現代 プロフィール

右足をつって身動きのとれない僕の病室に、宮川さんは一番最初に来てくださいました。入団2年目から結果を出すことができ、「究極の打法」を手に入れかけていた分、落ち込みました。

「(入団を迷った時に、広島に)入っていなければ、アキレス腱を切ることもありませんでしたね」と宮川さんに、憎まれ口を叩いた記憶もあります。

こんな生意気な態度をとったのですから、宮川さんは本当だったら怒りたかったはずです。でも、その時は、半分笑いながら「バカタレ、お前」と慰めてくれた。

宮川さんは、自分が獲得した選手に対し、息子のように愛情を注ぎます。その分、チャンスを生かそうとしない甘さが見える選手には叱咤激励したり、ときにはげんこつを落とす厳しさもありました。

獲ってもらった選手でも、宮川さんとは気安くしゃべれませんが、僕が野球に対して、生半可な気持ちではやっていない、ということだけは理解してもらっていたと思います。だからこそ、生意気な態度をとったときも、大けがをした僕の心情を思い、慰めてくれた。その心の大きさに、救われました。

アキレス腱を切った後の18年間はジレンマとの戦いでした。僕が目指した「究極の打法」は、けがをした右足が命です。打ちにいったとき、踏み出した右足で踏ん張ってしっかり止まらなければいけないのに、踏ん張れなくなってしまった。足の左右のバランスが崩れているので、全盛期同様に動かそうとすると、肉離れをおこしてしまう。

アキレス腱を切った翌年の'96年は、開幕から数試合出て肉離れを発症。以来、けがにつながらないよう、休養を挟みながら出るようになりました。'00年には、右足を無意識にかばおうとした負担が蓄積したのか、今度は左足のアキレス腱が悪化。7月に痛みを和らげる手術を受けました。翌'01年は公式戦の出場はわずか27試合。入団1年目以来の本塁打ゼロでした。

「お前ならまだできる」

そのシーズンオフ、僕は宮川さんに訴えました。

「もう(現役を)やめます。オーナーにも、その意思を伝えていただけますか」と。

宮川さんからは「アクシデントがあった中で、よう頑張ったな」とねぎらってもらいました。しかし、話は終わりません。

「でも、まだ楽しみにしている人がたくさんおるわけやから、お前ならごまかしてでも、できるだろう」

受け入れるまで時間はかかりましたが、球団に契約してもらったので、覚悟を決め、トレーナーの方にハードなメニューを組んでもらいました。

「これを3年続け、もう一回勝負をかける。それでダメなら、そこでやめよう」と。

オフはもちろん、試合後も「ルーティン」を続けました。試合に出て、リハビリをして、バットを振る。本拠地・広島市民球場の試合後は、アップシューズでマウンドの傾斜を利用して、バットを振りました。わざと足が滑る状況を作り、踏み出した右足の親指でぐっと踏ん張る。けがをする前が10としたら、5~6のレベルまで戻したかった。誰もいない球場で、ひとり続けました。「(右足の)感覚よ、蘇って来い」と祈りながら……。

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