2016.04.26

巨大化するショッピングモールは、地方都市の「最後の希望」か「未来の廃墟」か

貞包 英之 プロフィール

最大の変化は、モールがモードとの接触点としての役割を強めたことである。現在、たいていの地方でもモールに行けば、ユニクロやスタバ、H&Mやヴレッジバンガードといった店舗で買い物をし、あるいは「こじゃれた」カフェやレストランでくつろぐことができる。

本当に最先端とはいえないとしても、そうした店に赴くことは、2、30年前の地方ではむずかしいことだった。都会で流行る店はなかなか現れず、できた頃にはすでにモードを外れていた。80年代に進む消費社会化は大量のモードを受け入れ、消費することを人びとに求めていくのだが、しかしだからこそモードから取り残されていたことが、地方では大きな飢餓感につながったのである。

それに対して2000年以降出現したあらたなタイプのモールは、モードへのキャッチアップを地方でも容易にした。既存の店は、たしかにすぐに時代遅れになる。しかしモールはデベロッパー主導の人工的な「新陳代謝」を重ねることで、最新のモードを地方都市でも更新していく。

だからこそモールは現在、地方都市の商業的地図を大きく揺るがしている。70年代以降、郊外のロードサイドに展開されたスーパーやショッピングセンターが、地方の生活を「豊か」にしたことがしばしば語られる。

それはまちがいではないとしても、しかしそれによって中心市街地の賑わいが根本から揺るがされたわけではない。ロードサイドショップでは安価なものが便利に買えたが、一方で中心市街地は高価な、そしてかなり遅いとはいえ東京発のモードを伝達し、受け渡す中継地点であり続け、だからこそ地方都市の「中心」になお留まり続けたのである。

それに対して今ではモールはかつての地方都市の辺境だった場所に、モードとの接触を促すドアを開いている。地方の中心商店街や百貨店では、皮肉にも行政や昔からの顧客に守られることで、古い店を置き換え、新しい店を呼び寄せることがなかなかできなくなっている。

対して、2000年代以降はモールに行けば、人工的な新陳代謝によって直接大都市とシンクロしたモードに触れることが可能になっているのである。

だからこそ多くの人が、好んでモールに赴くのではないか。商品を買うだけなら、たしかにネットや郊外の格安店でも充分といえる。ただし現在でもなお、流行りのモードに触れ、それゆえこの消費社会の住人の一員であることを自分の身体を通して直に、またいち早く確認することは、モール以外では難しい。

そうしてわたしたちの社会がますます消費社会的なモードの波のなかに飲み込まれるのに応じて、モールは地方都市で欠かせない場――その効果はアジアにまで及び、地方都市のモールを時には「爆買」の対象にしている――に変化しているのである。

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