2016.04.25
# 本

長渕剛との対話
〜人間にとって「暴力」って何ですか?

杉田俊介『長渕剛論』刊行記念
杉田 俊介 プロフィール

「そう。子どもたちには、小さい時からそうやって教育してあげないと。もしも他人に対して利己的な暴力をふるってしまったら、覚悟しなきゃいけないんだよと。実際に僕自身が親からそういうふうに育ててもらったから。僕が親からうけたその教育に、間違いはなかったと今でも思う」

なるほど、と腑に落ちた。そして次第に、本書でここまで書いてきた僕の暴力に対する感じ方と、長渕の暴力に対する考え方の違いが浮き彫りになって、鮮明になってきたように思えた。その微妙な違いを見つめていくことが大切なのだ、きっと。

ただし、誤解しないでほしいんだけど——、と長渕はすぐさま付け加えた。

「これが国単位の集合体の話になってくると、全然話が違う。たとえば軍隊とか軍事。そうした国家レベルの戦争の話と、僕らの身近な足元に転がっている暴力の話は、まったく論点が違うんですよ。それらを混同して、一緒くたにしてしまうと、非常におかしなことになる」

戦争嫌悪のルーツ

そもそも、自分たちに何の害も及ぼしていない他の国の人々を、わざわざ殺しにいくっていう感覚が、僕の神経では考えられない、長渕はきっぱりとそう主張した。そういう人殺しの行為にこの国が加担することにも僕は耐えられない、と。

長渕は、たとえば、近年の安倍晋三政権の安保法制に対して反対したり、2002年にもアフガン戦争に対する反戦歌「静かなるアフガン」をリリースしたりしてきた。国を愛する気持ちゆえに、反戦平和を主張する。その思いは一貫してきたのだ。では、そのような反戦の感覚は、どこからやってきたのだろうか。

「戦争の暴力を正当化するためによく『お国を守るため』とか言うでしょ。でも、そんなものは結局、あとづけの論理ですよ。いつの時代にも、国のてっぺんの連中が、私利私欲のために企てるのが戦争なんです。集団という単位では『向こうが攻撃してくるからこちらも反撃するんだ』という報復の論理で考えると、おかしなことになる。そういう集団の戦争の話と、個々の当事者間の暴力の問題は、やっぱり別の次元で考えなきゃいけない。僕はそう思います」

その口調には、心からの嫌悪感が染み出ていた。世間一般でいわれる理想主義者たちの美しい反戦平和論というよりも、どこか、肉体に根差した戦争嫌悪、という感じかもしれない。肉感がある。戦争という言葉すらも心底嫌そうに語る長渕の表情から、僕はそのような印象を受けた。

それはきっと、人権や理念の問題ではないのだ。肉体レベルでの、戦争が嫌で嫌でたまらない、という皮膚感覚のようなもの。

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