2016.05.11
# 本

日本人が「移動」しなくなっているのはナゼ? 地方で不気味な「格差」が拡大中

大都市と地方の、幸福と不幸
貞包 英之 プロフィール

移動は階層化し、地方は閉塞する

以上のような見方を、ここで否定したいわけではない。知らない人の多い大都市で、古くて狭い家に住み、長い通勤時間に耐え暮らすことに比べれば、地方の暮らしのほうがよっぽど「快適」とみる見方も、一定の説得力をもっている。

ただしだからといって地方から出る人の動きが小さくなっていることを、手放しで喜ぶことはできない。最大の問題は、移動の減少が均一にではなく、格差を伴い起こっている恐れが強いことである。

たとえば近年、大学進学のため、また大学卒業後に就職のために地方を出る人びとはかならずしも減っていないのに対し、進学や就職のため県外に出る高卒者や専門学校卒の人びとは減少している(学校基本調査)。

それはつまり移動が階層化されていることを意味しよう。学歴、そしておそらく特別の資産やコネをもたない者は、地方を出づらい傾向が高まっているのである。

言い換えるならば、「移動できる者」と「できない者」の二極化が、地方では進んでいる。近年、国境さえ超える社会的な移動が活発になっていることがしばしば話題になっているが、移動の拡大には、あくまで学歴的、資産的な偏りが大きいのである。

問題になるのは、そのせいで地方社会の風通しが悪くなっていることである。学歴に優れ、資産を持つ「社会的な強者」がいち早く抜けていく地方で、なお留まる人びとには、これまで以上に地元の人間関係やしきたりを大切にすることが迫られる。地方を出る可能性が低いとすれば、それらを何よりの資源としてサバイバルしていかなければならないためである。

結果として、地方には、「地域カースト」的とでも呼べる上下関係が目立つようになっている。移動の機会の減少は、それまでの人間関係を変え、ちがう自分になる可能性を奪う。

それによって子供のころからの関係がたびたび持ちだされ、補強されていくのであり、そのはてに飲み屋や「まちづくり」の場などで大きな顔をするのはいつも一定の集団――最近「ヤンキーの虎」などと呼ばれもてはやされ始めているが――になり、そうではない人は地元でこっそり暮らすという分断が、地方社会で強められているのである。

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