
歴史ドラマに登場する人物の末裔たちは、現在どのような生活を送り、ご先祖様の偉業をどうとらえているのだろうか。子孫たちのもとを訪ねて、名家に伝わる家訓や知られざるエピソードを聞いた。
「悪役」の子孫はつらいよ
大坂夏の陣で豊臣家は滅亡した。だが、秀吉の正室ねね(北政所)を中心とした一族が、幕府から改めて所領を与えられ、岡山や大分で生きながらえたことは、あまり知られていない。大分・日出藩木下家の木下崇俊氏(82歳)が語る。
「私は、ねねの甥にあたる初代延俊から数えて19代目に当たります。学校はずっと学習院で、天皇陛下と同級生でした。日出町は城下かれいが有名なのですが、陛下もお好きでよく召し上がる。先日も初等科のクラス会でお会いしたとき、『木下、かれいを食べているか?』と話しかけてくださいました」
仕事は転々としたが、義兄の不動産関係の会社に落ち着いた。
「かつては料理屋やパチンコ店なども運営していた会社でしたから、パチンコの釘を打つ仕事もやりましたよ」
一族の末裔が釘師になるとは、さすがの秀吉も想像できなかったに違いない。
「越後の虎」と呼ばれた上杉謙信や、その子で大河ドラマ『真田丸』にも登場する景勝の子孫、上杉邦憲氏(73歳)は、長年JAXAで宇宙開発の仕事に携わってきた。
「在職時の最後の仕事は『はやぶさ』でした。上杉家としては米沢の廟所を守るという仕事もあります。
上杉と真田は地理的にも織田や徳川よりも近く、憎み合うこともなくいわば親戚のような関係だったと思います。実際、私の叔母も真田一族に嫁いでいて、今でも親戚関係なんですよ。
大河ドラマは楽しく見ていますが、上杉家としては苦々しいドラマもある。赤穂浪士です(註・吉良上野介は上杉家4代藩主の実父)。あんなものはテロと同じ。いまだに米沢では忠臣蔵は演じられませんよ」
日本史上最大の当たり狂言で悪役の家系になってしまったわけだから、その無念たるや推して知るべしである。