
元キリンビール代表取締役副社長、田村潤氏の著書『キリンビール高知支店の奇跡』がビジネスマンの心を掴んでいる。伝説の営業マンとなった田村氏が、その奇跡の経験を改めて本誌に語り尽くす。
左遷からはじまった
「キリンビールを愛してくれるお客様のことを考えれば、自分が間違っているとは思いません。この異動は、断固として納得できません」
思いもよらぬ辞令を受け、私は上司に食ってかかりました。
'95年、キリンビール本社の本部担当営業企画部長代理というポジションにあった私は、セブン-イレブンなどの量販チェーンとの商談や全社的な販売施策の立案という、責任ある仕事を任せてもらい、充実した日々を送っていました。当時は、量販店が海外から輸入した安いビールの自主販売に着手したことで、価格破壊が始まった頃。
「ウチも値段を下げて、販売量を伸ばせ」
「出来ません。いたずらな値下げは、ビールの質の低下につながります」
上司からの、度重なる値下げ営業の要求を突っぱね続けていた私に出された辞令は、「高知支店長への転出を命ずる」というものでした。
当時、コクとキレを売りに快進撃を進めるアサヒビールの『スーパードライ』の前に、キリンの支店はどこも苦戦を強いられていました。中でも高知は売り上げの伸びが最低クラスの地域。社内では「田村は終わった」、「左遷された」と言われていたようです。
食ってかかってはみたものの、意見の合わない上司の元を離れ、自然に恵まれた四国の地で働けるのなら、それもいいか、と気持ちを切り替え、赴任の日を迎えました。
しかし、高知空港から市内へと向かう道は明かりもまばら。なんとも言えぬ寂寥感と、苦戦地域に送り込まれたことへの不安で、暗澹たる気持ちになったのを昨日のことのように憶えています。