2016.06.09
# エンタメ

ハリウッドで「スーパーヒーロー映画」が量産される理由〜そして、ヒーローたちは「正義」について悩み始めた

寺田 悠馬 プロフィール
〔PHOTO〕gettyimages

もちろん、大ヒットを産んで儲けるのは、悪いことではない。

むしろ、資本コストを上回る利益をしっかり稼ぐことで、再投資を可能にするのは健全であり、とくにエンターテインメントのように一過性のヒットに依存しがちな産業において、再現性のある収益を実現したのは称賛にさえ値する。筆者は、清貧を美徳と掲げて、エンターテインメント大作の是非に挑むつもりはない。

一方で、これだけ数多のスーパーヒーロー映画が製作されれば、その裏で、あらゆる機会損失が生じているのは間違いないだろう。

製作者が投じる資本、観客がチケット代を捻出する可処分所得、そして観客が映画鑑賞に費やす時間は、すべて有限である。こうしたなか、「アベンジャーズ」シリーズだけでも年間約1.4本のペースで公開されると、年平均成長率わずか2%の米国映画市場において、スーパーヒーロー映画が全体に占める割合が高くなる(実際、「アベンジャーズ」シリーズの年間平均興行収入は、米国市場の10%程度に相当する)。

つまり、スーパーヒーロー映画の成功の舞台裏で、製作されなかった作品や、観られなかった作品が、この10年間で確実に増えているのだ。

スーパーヒーロー映画に冷ややかな視線が向けられるのは、商業的成功そのものが原因ではなく、これに起因する、映画という娯楽の「単一化」が憂慮されるからだろう。

筆者の場合、スーパーヒーロー映画の新作を待ち侘びながらも、チケットを購入する自らの行動が、同じような映画の量産を正当化してしまう罪悪感に悩まされて、せっかくの楽しみが阻害されてしまう。鑑賞中も、製作者の安易な意図に騙されまいと身構えてしまうから、作品に触れる姿勢がどうしても挑戦的になる。

そして映画が終わると、所詮は娯楽に過ぎないものに、一矢報いようと焦燥した自分が、そもそも残念に思えてくる。楽しいものを、素直に楽しめなくなっている己の不甲斐なさに、すっかり参ってしまうのだ。

スーパーヒーロー映画の量産はしかし、今後も続きそうだ。

マーベルの発表によると、「アベンジャーズ」シリーズは、さらに12作品の製作がすでに決定している。

加えて、同じマーベル社のキャラクターでありながら、20世紀フォックスが映像化権を持つ「エックスメン」シリーズや、ライバルのDCコミックスが展開する「バットマン」や「スーパーマン」シリーズの作品も、複数製作が予定されている。それらの公開スケジュールは、東京オリンピックのさらに将来まで綿密に組まれているのだ。

すべては、我々観客が、結局はチケットを買うだろうという製作者の算段のもとに練られた計画である。映画ファンとして、その思惑に迎合して良いものか、筆者はつい躊躇してしまう。

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