加速する香港の若者の「中国離れ」
~天安門事件「犠牲者追悼」に異論が出始めた!

倉田 徹 プロフィール

運動の分裂と過激化

しかし、北京への抗議に若い世代が加入したことは、運動の分裂の始まりでもあった。「反国民教育運動」の翌2013年の天安門事件追悼集会で、支連会が選んだスローガンは「愛国愛民」であった。

「愛国」という言葉を、共産党政権と違う形で定義し直すことが支連会の趣旨であったが、この頃台頭してきた、香港優先を主張するより過激な「本土派」は「愛国」に拒絶反応を示し、支連会の集会のボイコットを唱え、別会場で集会を開催した。翌2014年にも、「本土派」は支連会と同じ時間帯に別会場で、中国国旗を燃やし「打倒共産党」を叫ぶ集会を開催した。若者たちは支連会のタブー、天安門事件の呪縛を破ろうとの試みを始めたのである。

2014年の香港政治は大混乱の一年であった。2017年の行政長官選挙の方法をめぐる民主化運動がピークに達し、天安門事件追悼集会は過去最高に近い参加者を集めた。続く9月からの「雨傘運動」では、学生や市民が79日間も主要道路を占拠し、誰もが立候補できる行政長官の「真の普通選挙」を要求した。

しかし、北京はこれを完全に無視。支連会を構成する主要な民主派政党が過去四半世紀以上にわたって求め続けてきた、香港が民主的な政治体制として祖国に復帰するという「民主回帰」の道は、事実上閉ざされてしまった。

雨傘運動が何も達成できなかったことで、本土派の若者は民主派の無力・無能への批判を強め、さらに過激化した。彼らは、「愛国者」である支連会はもちろん、抑制された「平和裡・理性的・非暴力」の抗議にこだわった「雨傘運動」指導者の学生たちの生ぬるさをも激しく糾弾した。

2015年の集会では、支連会が当初から使い続けた「民主的中国の建設」というスローガンが、「中国の民主化は香港には無関係」と、一部の学生から非難された。対話に応じない北京に対し、学生側も対話への関心を失い、むしろ中国から可能な限り距離を置くことで、その影響を逃れようという発想に到ったのである。

8大学から構成されていた学連からは4大学が脱退し、香港大学などの学生会は集会への参加を拒み、自ら別途集会を開催した。分裂は一層深まり、過激化の度合いはますます進んだ。

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