2016.08.01
『思考の整理学』の著者が、90歳を超えて毎日やっていること~長生きなんかこわくない!

文/外山滋比古(評論家)
まずは古い常識をすてること
戦後の日本人の寿命の伸び方はまことに目ざましい。人生50年といい、還暦を祝い、喜寿を喜んでいたのが、夢のように思われる。人生80年である。100歳をこえる人が6万人になる、といわれても、あまりおどろかない。喜ぶ人もそれほど多くない。
めでたいはずの長寿があまり喜ばれなくなったのは、困った長生きがふえているためである。自分のことが自分でできない。寝たきりになる。認知症にやられる人がふえた。
長生きをすればするほど、まわりの人の迷惑がふえる、というのでは、長生きのありがた味はない。まわりも、口には出さないが介護は負担で人生の質をそこないかねない。長生きを手放しで喜べないケースがふえるのは当然か。それで長生きをおそれる高齢者があらわれてもおかしくない。
楽天的な人はピンピンコロリをうたい文句にして、歩く運動をする。なかなかの知恵であるが、長続きしない。
困った長生きはいやだからと言って、早く死ぬことを考えるのは、賢明なことではない。すこしでなく、大いに知恵をしぼって、うまく老化する工夫をしてこそ、ホモ・サピエンスである。そこで参考になればと『「長生き」に負けない生き方』をつづった。
まず、高齢にまつわる古い常識をすてること。勤めもやめて、“悠々自適、余生を楽しみたい”といった挨拶状を出すのは間違いであると気付かなくてはいけない。することがなくなってはコトである。なければ、こしらえる。悠々自適など、まことにとんでもない。
時間はある。ありあまるほど。しかし、これが、人間を弱らせる。ヒマのある人ほど仕事がうまくできないのが人間である。ヒマをつぶさないといけない。