昭和の妖怪・岸信介は「アヘン密売」で絶大な権力を得た!? 今さら聞けない「満州国の裏面史」

アフガニスタンのアヘン畑(PHOTO:gettyimages)

アヘンがあってこその満州国

アカデミズムの世界で広くその名を知られる京大人文科学研究所の山室信一教授は、私の高校時代のクラスメートだ。

といっても彼は飛び切りの秀才。私は部活が命の体育会系だったから、一緒に遊んだ記憶はない。私が今もかすかに覚えているのは、小柄なわりに頭が大きくて、生真面目な顔をした山室君の学生服姿である。

その山室君の労作『キメラ―満洲国の肖像 増補版』(中公新書)を読んだ。23年前に初版が出たとき、ずいぶん話題になったから、すでに読まれた方も多いにちがいない。

今ごろになって言うのも失礼だが、一読三嘆。中国東北部の大地に忽然と現れて消えた幻の国の本質に迫った傑作だった。

私は半世紀前の熊本でこんな立派な仕事をすることになる人と机を並べていた。と思うだけでちょっぴり誇らしくなった。

本の中には最近、私が追いかけている「昭和の妖怪」岸信介も登場する。とくに興味深かったのは、増補版で新たに加筆された「補章」の記述だった。

山室教授は、満州国政府で岸の忠実な部下だった古海忠之(前回登場したアヘン取引の責任者である)の言葉を引きながら、こう述べている。

〈総務庁次長を務めた古海忠之は、「満洲国というのは、関東軍の機密費作りの巨大な装置だった」とみていますが、満洲国のみならず、陸軍がアジア各地で広汎な活動ができたのも、満洲国が吸い上げる資金をつぎ込めたからだともいわれています。基本的な資金源はアヘンでした〉

山室教授によると、アヘンは満州国の財政を支えただけでなく、機密費の主な資金源になった。そのため満州や蒙古各地でケシを栽培させたほか、ペルシャなどから密輸した大量のアヘンを満州国に流し込んだという。

それが莫大な利益を生み、軍の謀略資金になった。関東大震災(1923年)直後、無政府主義者の大杉栄ら3人を殺したとされる元憲兵大尉・甘粕正彦が、満州で「影の皇帝」といわれるほどの権勢をふるったのもそうした裏金があったからだと指摘して教授はこう語る。

〈甘粕はまた中国人労働者を満洲に雇い入れる斡旋事業においても、裏金をつくり出していました。岸信介にしても一介の官僚でありながら、甘粕の特務工作に対してその当時の額面で一〇〇〇万円(卸売物価の上昇率からみて現在の八〇億~九〇億円にも相当します)を手渡したりしています〉

ただし、甘粕はこれらの資金を着服したりはせず、満州国から華北や蒙疆へ日本が進攻していくための特務工作に使用したといわれている。だから〈満洲国はそうした「第二の満洲国」造り工作の策源地であり、資金源であったということになります〉と教授は解説する。

なるほど、そう考えると、関東軍が陸軍中央の統制を無視して暴走を繰り返した理由も分かってくる。彼らは満州でアヘンという打ち出の小づちを手に入れた。だから中央の顔色をうかがう必要がなかったのだ。

それにしても、岸から甘粕に渡されたという1000万円は眉に唾をつけたくなるほど巨額のカネである。ホントだろうか。

山室教授が根拠にしているのは、戦後になってからの古海の証言だ。その全容は『新版 昭和の妖怪 岸信介』(岩見隆夫著・朝日ソノラマ刊)に収録されているのでご紹介しておく。

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