2016.08.06

知られざる天皇家の「闇」をあぶり出した、ある女官の手記

明治大正期の貴重な証言

皇太子時代から三千子に目をかけ、火のついた葉巻煙草を三千子の前に出して「退出するまでお前が持っていておくれ」と話したこと(93頁)

臣下の言上が長くなると、退屈のあまり椅子から立ち上がってしまうこと(188頁)

輿(こし)のなかでも落ち着きがなく、ひょこひょこ動くこと(194頁)

女性の写真を集める性癖があったこと(313~314頁)

などである。

並み居る女官をさしおいて、三千子にだけ葉巻煙草を持つよう頼むくらいなら微笑ましいエピソードといえるかもしれないが、本書に描かれた大正天皇像はそんなレベルではない。明らかに三千子に好意をもち、天皇としての節度を越える振る舞いに及ぶことも一度や二度ではなかった。

大正になったばかりの頃、三千子は御内儀の廊下で天皇にばったり会ってしまったことがあった。大正天皇が「自分の写真を持っていないか」と言いながら三千子に迫ってきた体験を語るくだり(224~225頁)は、本書の読みどころの一つといえる。

おそらくこうした体験があったからだろう。三千子は皇后宮職に移って大正天皇と貞明(ていめい)皇后に仕えることを拒み、「今まで通り皇太后宮様にお使い戴くなら奉職いたしたいと存じますが、こちら様に御不用ならば生家に帰らせて戴きます」と女官の最高位に当たる典侍の柳原愛子(やなぎわらなるこ)(大正天皇の生母)に言った(228頁)。

愛子から露骨に嫌な顔をされながらもこの願いは聞き入れられ、三千子は宮城(皇居)へは行かずに皇太后の住む青山御所にとどまり、女官の地位も本官の権掌侍へと上がった(236頁)。

それでも、大正天皇の執心はおさまらなかった。天皇は、何かと理由をつけては青山御所にやってくると、「〔三千子の〕姿の見えない時までも必ず名指しをしてお召になって、何かとお話かけになる」(238頁)。

三千子の気持ちを察し、天皇がやってくるときに三千子を病気欠勤にしたのは、昭憲皇太后であったようだ。

三千子は1914(大正3)年に退官し、翌年に山川黙(しずか)と結婚するが、なぜか天皇は結婚披露宴の日を知っていて、三千子の弟で侍従職出仕の久世章業に見に行くよう命じたという。三千子は、「こんなつまらぬ話をどこからおききになったのか、なぜそうまで御心におかけ下さるのか、どうもちょっと」(315頁)と本音をぶちまけている。

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