リレーを見ず、人混みに参加
長野のリレーから3ヵ月半後の8月8日、私は北京にいた。
この日に開かれるオリンピックの開会式を取材するためではない。見たかったのは、聖火リレーのフィナーレ。世界を騒がせた「マジカル・ミステリー・ツアー」の最後を見届けたかった。
開会式当日の午前11時ごろ、街の北西部に位置する北京大学に近い大通りに大群集がいた。その数、ざっと数万人。大きめのサッカースタジアムひとつ分の人数は優にいた。
みんな聖火リレーのためにやって来た。聖火リレーを見るため、ではない。リレーはこの近くで行われるが、集まった人たちは会場には入れない。
北京での3日間にわたるリレーの概略が大会のウェブサイトにさりげなく載ったのは、前日になってからだった。それもリレーの起点と終点、距離などがあるだけで、詳細なルートや時間は書かれていない。妨害を避けるためだ。
泊まっていたホステルのスタッフに手伝ってもらい、中国語の簡体字を使ってネットを検索し、ようやく詳しい情報を見つけた。
最終日であるこの日のリレーは北京大学に近い北京101中学で終わる。だが中学でのリレーは、11時54分からのわずか5分間だという。会場が学校の敷地内なら、そんなに広くはない。市民には公開しないのだな、と思った。
聖火を見られないとしたら、なぜ数万もの人々がこの通りに集まっているのか。情報が乏しいせいで、ここを聖火ランナーが走ると思っているのだろうか。英語で話せる相手だけだったが、沿道で何人かに聞いてみた。
「リレーは中学でやるけど、僕らみたいな一般人は入れないよ」と、30代の男性ははっきり言った。
――じゃあ、何を待っているんです?
「車が聖火を運んでいくのを見ようと思って」
――聖火は見たくない?
「まあ、参加できればいいよ」
――参加というのは、何に?
「人混みに参加するんだ」
「パティシペイティング・イン・クラウド」と、英語で彼は言った。聖火リレーを見られないことを彼は知っていた。それでもいい、人混みに参加できればいい。
でも、なぜ人混みに?