2016.08.04

実は「聖火」はこんなに政治的だった!リオ、東京、北京…秘められた開催国の思惑

意外と知らない「聖火リレーの政治学」
森田 浩之 プロフィール

リレーを見ず、人混みに参加

長野のリレーから3ヵ月半後の8月8日、私は北京にいた。

この日に開かれるオリンピックの開会式を取材するためではない。見たかったのは、聖火リレーのフィナーレ。世界を騒がせた「マジカル・ミステリー・ツアー」の最後を見届けたかった。

開会式当日の午前11時ごろ、街の北西部に位置する北京大学に近い大通りに大群集がいた。その数、ざっと数万人。大きめのサッカースタジアムひとつ分の人数は優にいた。

みんな聖火リレーのためにやって来た。聖火リレーを見るため、ではない。リレーはこの近くで行われるが、集まった人たちは会場には入れない。

北京での3日間にわたるリレーの概略が大会のウェブサイトにさりげなく載ったのは、前日になってからだった。それもリレーの起点と終点、距離などがあるだけで、詳細なルートや時間は書かれていない。妨害を避けるためだ。

泊まっていたホステルのスタッフに手伝ってもらい、中国語の簡体字を使ってネットを検索し、ようやく詳しい情報を見つけた。

最終日であるこの日のリレーは北京大学に近い北京101中学で終わる。だが中学でのリレーは、11時54分からのわずか5分間だという。会場が学校の敷地内なら、そんなに広くはない。市民には公開しないのだな、と思った。

聖火を見られないとしたら、なぜ数万もの人々がこの通りに集まっているのか。情報が乏しいせいで、ここを聖火ランナーが走ると思っているのだろうか。英語で話せる相手だけだったが、沿道で何人かに聞いてみた。

「リレーは中学でやるけど、僕らみたいな一般人は入れないよ」と、30代の男性ははっきり言った。

――じゃあ、何を待っているんです?

「車が聖火を運んでいくのを見ようと思って」

――聖火は見たくない?

「まあ、参加できればいいよ」

――参加というのは、何に?

「人混みに参加するんだ」

「パティシペイティング・イン・クラウド」と、英語で彼は言った。聖火リレーを見られないことを彼は知っていた。それでもいい、人混みに参加できればいい。

でも、なぜ人混みに?

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