ミャンマーのロヒンギャ問題
フィリピンのドゥテルテ大統領の失言でオバマ米大統領との首脳会談が延期になり、南シナ海での中国の覇権拡張が国際仲裁裁判所で否定されたことへの非難が共同声明に盛り込まれないなど、ミャンマーのアウンサンスーチー国家顧問兼外相も参加してラオスで開催された東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議が大きな注目を集めた同じころ、実はミャンマー国内では思わぬ事態が起きていた。
9月6日、ミャンマー西部のラカイン州シットウェを訪問したコフィ・アナン前国連事務総長の車列が一般市民に取り囲まれ、ブーイングや罵倒を浴びて一時立ち往生する状況に追い込まれていた。
8日にヤンゴンに戻って会見したアナン氏は「すべての関係者に理解が得られるアプローチで問題解決を目指したい」と優等生的発言を繰り返しながらも、内心は穏やかではなかったはずだ。

国際政治の最前線に立って世界の紛争地、被災地、各種イベントなどを巡ってきたアナン氏だが、引退後までも車列が囲まれ、罵詈雑言を浴びせかけられるなどとは思いもよらなかったことだろう。その心中を想像するに「聞いていた話と違い相当に深刻な問題だ」と嘆息したのは間違いない。
アナン前事務総長がラカイン州を訪問したのは、ミャンマー政府から同国で深刻化している宗教対立問題、つまりミャンマーで多数を占める仏教徒と、少数派でイスラム教徒の「ロヒンギャ」と呼ばれる人々との対立の解決を委ねられ、その最初の仕事としての現地視察だった。
激動する国際情勢の中でミャンマーのロヒンギャ問題はあまり注目されていないが、約130万人のロヒンギャと呼ばれる民族の人々がそのアイデンティティーや帰属を巡って国内外で難民化、周辺国にも深刻な影響を与えており、潘基文・現国連事務総長までもが懸念を表明する事態になっている。
この問題解決をアナン氏に丸投げした形のミャンマー政府だが、実質的な指導者であるスーチー女史はこのロヒンギャ問題の解決にはなぜか消極的、いや冷たくさえ見えるとの批判が出ている。
その姿勢はかつて独裁的な軍政に果敢に闘いを挑み、ミャンマーの民主化運動の旗手として国際社会のみならずミャンマー国内の学生、僧侶、一般市民そして少数民族からも期待が寄せられ、1991年にはノーベル平和賞を受賞した「輝けるヒロイン」像とは異質の「単なる政治家」にしか見えなくなっている、というのだ。
果たしてスーチー女史は「心変わり」してしまったのだろうか。
行き場を失った無国籍の「不法移民」
ロヒンギャ問題は「古くて新しい宗教対立」、「忘れられた難民問題」などと表現されている。
ミャンマー西部、ラカイン州とバングラデシュ国境を挟んだ両側地域がロヒンギャの人々約130万人の主要な居住地域で、彼らは熱心なイスラム教徒である。太平洋戦争終結後の度重なる民族、宗教、イデオロギーなどの対立で国境を右へ左へと移動せざるを得ない状況に追い込まれ、定住困難な時代が続いた。
そして1982年にミャンマーで市民権法が制定され、ロヒンギャの国籍が失われたことで悲劇は新たな段階に入った。
ミャンマー国内に居住するロヒンギャの人々は法律上ミャンマー国籍がなく、もちろんバングラデシュ国籍もない「無国籍」状態にある。
ロヒンギャの人々は、こうした境遇の改善を求め、民主化運動を進めるスーチー女史に期待、支援した。しかしこれが当時の軍政の逆鱗に触れ、弾圧を受けた。その結果、約30万人が難民としてバングラデシュに逃れることになった。
しかしバングラデシュ政府は彼らを難民として認めず強制送還を進めた。つまりロヒンギャの人々はミャンマー、バングラデシュ両国にとって同じように「不法移民」であり、両国から排除され無国籍のまま行き場を失い、海路や陸路での逃避・脱出が本格化して大量の難民が発生したのだった。
ミャンマー国軍、多数派の仏教徒から迫害を受け、命からがら脱出したタイやマレーシア、インドネシアでは、過酷な状況の難民施設に収容されたり、人身売買被害に遭遇して虐殺されたり行方不明となる事件も起きた。
ちょうど欧州に中東シリアなどからイスラム教過激派やシリア政府軍との戦闘から逃れた多くの人々が陸路や海路で脱出、難民として流入する事態が世界中で大きく報じられている時期だった。
しかし、ロヒンギャ難民に関しては「タイ国境に近いマレーシア領内で数百人の遺体発見、人身売買被害者のロヒンギャ族が多数含まれている可能性」「ロヒンギャの数千人が木造船などで漂流しているのが発見される」などと断片的に報じられるに過ぎなかった。
こうした事態を重視した国連や人権団体など国際社会の批判を受けて、ミャンマー政府は問題解決のためにようやくと重い腰を上げ、9人の委員(内3人が外国人)からなる「特別諮問委員会」を設置、委員長にアナン氏を任命したのだった。
アナン氏に罵声を浴びせたシットウェの仏教徒たちは「国内問題への妨害反対」「偏見を持った外国人の介入反対」などと口々に叫び、介入拒否の看板を掲げた。要するに「内政問題に口を出すな」というのが仏教徒たちの主張だ。
確かに内政問題だとするならまず問題解決に当たるべきはミャンマー政府だろうが、その政府が消極的で、アナン氏ら委員会に解決を「丸投げ」しているように見られているのだ。
しかも、デモや反対運動は、ミャンマーでは当局の監視や規制が厳しいことから「官製デモ」との見方が強く、「解決を委託しながらその反対運動まで黙認するミャンマー政府の姿勢は問われるべき」との意見もある。

こうした実態、ミャンマー政府そしてスーチー女史の建前と本音を垣間見たと感じたことがアナン氏を複雑な思いに駆り立てたのは確実だろう。