2016.09.29
# 司法

最高裁判所という「黒い巨塔」〜元エリート裁判官が明かす闇の実態

これは日本の縮図だ
瀬木 比呂志 プロフィール

ーーいわゆる悪役たちも、一面的な悪役ではなく、主人公の笹原駿・最高裁民事局付やそのまわりの良心派若手裁判官たちをかすませてしまうくらいの魅力をもっていますね。

ほかにも、この小説には、女性ながら男性以上に権力に執着する裁判官、ストレスから窃盗に手を染めてしまう裁判官、部下を陰湿にイジメ抜くパワハラ裁判官など、様々な裁判官が登場します。そして、多くの裁判官が、どこかで病んでいるように感じました。

瀬木 はい。そこには、「構造的な問題」があるのです。

日本の政治小説や権力小説、僕はあまり読んでいないので、ほんの印象にすぎませんが、読んでみてちょっと不満に感じるのは、悪いやつらと主人公(これも悪かったりよかったりするのですが)は出てくるけれど、権力というメカニズム自体の悪、ことに組織や部分社会全体がゆがんでいる場合の悪、そういう構造的なものが見えてこない場合が多いように感じられることです。それだと、結局、半沢直樹シリーズとおんなじことになっちゃう(笑)。

もちろん、半沢直樹シリーズは意図的に現代のチャンバラ劇をやっていらっしゃるんだと思いますからそれでいいんですが、日本の権力小説は、大まじめに書かれた小説でも、何となくそれに近いものに見えちゃうところがあるような気はします。もっとも、繰り返しますが、多くを読んではいない者のほんの印象にすぎません。

最高裁長官の絶大な権力

ーー本作には印象的な登場人物が本当に多数登場しますが、その中でも圧倒的な存在感を誇っているのが須田謙造・最高裁長官です。司法の頂点に立つ最高裁長官は功成り名遂げた名誉職のようなポストだという先入観をもっていましたが、絶大な権力を握っているのに驚きました。

彼の描写について、1つ、それもさわりだけ、引用してみます。須田の長官室における会議の序の口で1人の怪物的所長が切り捨てられる場面の一部です。

* * *

須田は、のっそりと立ち上がり、引き締まった筋肉質の上体を揺すりながら、しかし、驚くほど短い時間でテーブルのところまでやってくると、みずからの席にどさりと腰を下ろした。通常の裁判官の定年は65歳、最高裁裁判官の定年は70歳、そして須田はすでに60代半ばだったが、到底その年齢の人間とは思われない機敏さだった。

須田が腰を下ろして初めて、人々は、彼がチューインガムを噛み続けたまま席を立ってきたことに気付いた。静かな長官室に、須田がガムを噛む音だけが鈍く響いていた。

須田は、日本人にはまれながっしりした筋肉質の体躯のために、背の高さはさほどではないにもかかわらず、実際よりも一回り大柄にみえた。

そのような体格と、頬のそげた彫りの深い顔立ち、そして鋭い眼光と毒舌で知られる彼は、局付たちから、陰で、「ゴジラ」と呼ばれていた。確かに、須田の両目のぎょろりとした動かし方と対面する相手の目を伏せさせずにはおかない射すくめるような眼差しは、あの有名な怪獣を連想させた。

須田は、席につくと間もなく、顔を下げることもしないまま口の中のガムを器用に灰皿の真ん中にぷっと吐き出し、一同の顔を順次眺め回すと、切り出した。

「まずは、小さなことから片付けよう。徳島の辻宏和のことだ。

うるさい奴だから、早いところ東京地裁から所長に出して追い払ったが、そろそろ次の異動がみえてくる時期だ。しかし、あいつはやめさせる。少なくとも、今後関東には戻さん、絶対にな」

折口事務総長は軽く、責任者の水沼人事局長は深くうなずいた。

須田の人事は、昔から、基準がよくわからず、恣意的だというので有名だった。須田自身が強烈な個性の持ち主だったから、個性の強い人物、あくの強い人物は、彼と衝突して嫌われることが多かった。

それでも、長きにわたった人事局長時代には、失敗すれば須田自身の身が危うくなりかねない状況で冷徹な判断を重ね、ぎりぎりの勝負を行っていたから、周囲の者も須田の大筋の意向は読み取れたが、彼の地位が安定し、「無人の野を行くが如し」と評されるようになった事務総長時代以降になると、個人的な好き嫌いに基づく人事が目立つようになった。

ともかく一度でも正面から須田の意に逆らったり、須田からみて許しがたいと思われる行動を取った人物に意趣返しをする傾向が強いことは明らかで、たとえば、事務総局課長になることを勧められたにもかかわらず地元を離れたくないからとの理由でこれを辞退した有力な裁判官が、最後に十数年間も地元高裁の裁判長ポストに塩漬けにされ、その間に何人もの後輩に先を越されて、うちの一人などはその高裁の長官になってしまったという例があった。後輩長官の下で働くことになったその裁判長のみじめさは、誰にでも容易に想像がついた。

* * *

ーー高官たちを前にチューインガムを噛んだまま会議の席につく最高裁長官……。実に強烈ですね。これは、創作では描けないでしょう? モデル人物がいるに違いないと深読みしています(笑)。

瀬木 これは創作です。想像されるのは御自由ですが(笑)。

こういう人物がいたかどうかは別として、日本の最高裁長官は、極端なことをいえばこうしたこともできる究極の権力者だとは、少なくともいえるでしょうね。

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