「私が偉いんじゃない。外国人の私を選んだウェールズ人が偉いんですよ」
2012年5月、イギリスはウェールズ西部の海沿いの町、カーディガンの町議会選に、ウェールズ民族党より初出馬し、英国史上初の日本人議員として、見事当選を果たした島崎晃さん。
「快挙」をサラリと総括しました。当時71歳のその男性は、政治とは無縁の世界で生きてきたごく普通の人でした。

栃木県の造り酒屋に生まれた島崎さんが初めてイギリスへ渡ったのは1967年、26歳の時でした。1ポンドが1000円の時代に裸一貫で英国に渡ったのです。
当時ロンドンでは、日本人居住者は500人ほど。ややもすると日本人同士で集まる様子にげんなりした島崎さんは、日本人のいないイングランド南東部、コルチェスターに語学留学で身を移し、1年後にウェールズ大学大学院で政治学を学びました。
交通事故で変わった運命
そんな島崎さんの運命を変えたのは、ある時起こした軽い車の事故。島崎さんを助けた見ず知らずのウェールズ人に、「なぜ君は大嫌いなイギリスの車に乗ってるんだ!?俺はルノーだぞ!」と責され、熱い民族主義に初めて触れたのです。
後日、たまたま訪れたウェールズ民族党の党大会で、イギリスからの独立を目指し、壇上で熱弁を振るう大物民族主義者こそは車の事故で自分を怒鳴った男だったと知り、島崎さんは仰天します。
二人の交流はどんどん深まり、島崎さんはウェールズ・カーディガンへの移住を決意。日々の糧を稼ぐためにカフェを開くことを思い立ちます。
店名はあえて英語ではなく「パンとチーズ」という意味のウェールズ語の「Jack Bara Caws」にしました。やがてこのカフェはイギリスからの独立を目指す民族党の党員や支持者らも集う、町のシンボリックな存在となり、以来40年以上、島崎さんはウェールズに惹かれ“ウェールズ人”として生きてきました。
「ウェールズの人は日本人にとても近い。内向的で謙虚。ものごとを大げさに話さないところがいい。
そして政治です。イングランドの植民地のような立ち位置のウェールズでは、ウェールズ語で話していても、イギリス人らしき人が通りかかると急に英語に変えてしまう。僕はそこに興味を持ったんです」
日本人男性は武道の精神が好きな人が多いです。弱きを助け強きをくじく。
島崎さんにもそういう感覚があり、カフェ開店をきっかけに、肩身の狭い思いをしているウェールズ人を助けたいと思ったそうです。
その後も波瀾万丈の人生は続きます。

3年でカフェを閉めた島崎さんは、ケータリングビジネスに従事。ナイジェリアやアルジェリアに7年間滞在。なんとサハラ砂漠のど真ん中で働きながら店の再開資金を貯めたそうです。
ところが、ようやくカーディガンに戻った彼を待っていたのは、入国管理局からの帰国命令。商業ビザが下りないというのです。
「渋々従った。悔しかったね」
ところが、このときカーディガンの人々が立ち上がり、島崎さんのために猛然と署名活動を開始したのです。
「彼はこの町に必要な人材だ」と、2週間でなんと1200名もの署名を集めました。カフェを開いた3年間で、彼はカーディガンの人々にとってなくてはならない存在になっていたのです。
晴れて再び入国を許可された島崎さんは、大学で教えるまでになり、2000年ついに英国籍を取得します。