中国人の若者が、日本へ「爆留学」を続けている。いったい彼らは何を求めて日本に来るのか――。留学生に丹念に取材をし、『中国エリートは日本をめざす』(中公新書ラクレ)を上梓したジャーナリストの中島恵氏に聞くと、彼らの事情から、現代中国の「いま」がリアルに見えてきた。
あまりに過酷な受験事情
あまり知られていませんが、東京・大久保には、日本の大学や大学院を目指す中国人向けの予備校があります。そこに通っている学生はいまやなんと1200人超。そのなかの一人、河北省出身の18歳の女の子は早稲田大学が第一志望ですが、彼女は日本に留学することについてこう言っていました。
「私の田舎の村でも日本の早稲田はすごく有名です。もし早稲田に留学できたら、私、中国ですごく自慢できます」
この予備校や女の子の言葉が示しているとおり、中国人学生の日本への留学は非常に盛んで、’15年の東京大学への中国人留学生は、前年より89人増えて989人。割合は留学生全体の43%にも上ります。
なぜ彼らが日本に来るのか、その事情を取材していくと、現代中国の若者の生き方、彼らが抱える問題などが浮き彫りになり、そこから中国社会の現状が見て取れることがわかったのです。
中国の大学入試制度をご存じでしょうか。中国では年に一度、全国で一斉に「高考(ガオカオ)」という大学入試が行われます。完全なる一発勝負です。高校生たちはこの日に向けて猛勉強をします。私が聞いただけでも一日10時間勉強する高校生なんてザラです。
家族や周囲がそれを応援する雰囲気も強く、遅刻しそうな学生をパトカーが会場まで送ったとか、試験のことを考えて、父親が亡くなったのにその事実を2週間も受験生の娘に伏せていたとか、そうしたエピソードには事欠きません。
中国の若者が日本の大学を目指すのは、こうした逸話に象徴されるように、国内での大学受験の競争があまりに激しいからです。人口の多い中国は、タクシーを捕まえるのも競争(横入りは当たり前)、飛行機のチケットを買うのも競争(友達に頼んで一緒にとってもらう)と、まるで、社会に「競争」がデフォルトで設定されているような場所です。
あらゆるところに競争が溢れていますが、大学入試はその象徴的な存在といっても過言ではありません。ごくシンプルに言えば、一部の若者たちがその競争を嫌って、日本を目指しているのです。

はびこる「科挙」の歴史
――そんなに殺伐としているんですか……。どうしてそこまで受験競争が激しくなるんでしょう?
そもそも中国は、隋の時代から1400年の長きにわたってエリート官僚の選抜試験である「科挙」を実施してきた国で、学問、勉学を重視する姿勢は日本よりもはるかに強い。
いまでも、地域内で「高考」の点数がトップになった子は、科挙に由来する(!)「状元」という称号を与えられ、伝統的な服を着て地方の新聞の一面にデカデカと掲載されるのです。こうした伝統が、受験競争の基底にあるのだと思います。
また、多くの若者が大学を目指すようになったにもかかわらず、それほど大学が整備されていないのも競争が激しくなる要因ですね。大学は全体で2800校あるものの、そのなかで資金がふんだんに投入されている「重点大学」は80校のみ。’15年の試験では約940万人の高校生が試験を受け、この「狭き門」を目指しています。
しかも、一時より成長率は下がっているとはいえ、経済成長を続ける中国では、まだまだ立身出世主義が強く、いい学校、いい会社、いい人生という発想が生きています。
いきおい、数少ない重点校を目指して熾烈な競争が巻き起こるのです。日本も’70年代には「受験戦争」が問題になりましたが、現代の中国も似たようなフェーズにあるということです。
もっとも、激烈な競争ゆえ、中国の高校では部活動も恋愛も禁止されていて、いわゆる進学校の学生たちは、社会経験のない「受験秀才」になってしまっているという弊害もあるのですが……。
一人っ子政策で子供が甘やかされた影響もあって、登校する子供に親が付き添って、しかも鞄を持ってあげるとか、中高生の子供に親がものを食べさせてあげるとか、そんな子供が多くなっているという話はよく聞きます。激しい競争にさらされているのに軟弱……なんとも複雑な存在です。