2016.12.23

わずか5年でハマスタが常時満員!伝説の球団社長が明かす「組織論」

DeNAベイスターズ「再生までの道」

「最初は軋轢もいっぱいありましたよ」。池田純氏(40歳)は涼しい顔で言ってのけた。プロ野球選手出身ではない「素人」社長が、わずか5年間でどうやって低迷する組織の風土を変えたのか。

 

「灰色の水槽」に飛び込んだ

初めて経験したクライマックスシリーズ(CS)が、横浜DeNAベイスターズ社長として、私の最後の仕事になりました。ワンプレーごとのファンの歓声のすごさに、心臓が握りつぶされる思いがした。CS終了後に社長を退き、今後、ベイスターズが優勝する瞬間に立ち会えないことが心残りですが、組織の再生に100%の力を注げた充実感は、今も残っています。

2011年末、私が35歳で横浜DeNAベイスターズの社長に就任した当時の球団の印象は、昭和の時代からメンテナンスされていない感じでした。情報管理を徹底しなければいけないのに、パソコンも揃わず、今では10ある会議室も当時は2部屋しかなかった。若い社員は『灰色の水槽の中で金魚として泳いでいる気分』と漏らしていました。

ただ、この状態は想像の範疇でした。私はプロ野球出身者ではありませんので、就任当初は「野球の素人に社長ができるのか」と面と向かって言われもしましたが、会社の経営再建には何度も携わっていた。経営と組織をしっかり立て直していけば、再生の可能性はある、と考え、自ら手をあげたんです。

就任直後、球団職員に最初に伝えたことは「お客さんを増やさないといけない」ということでした。プロ野球の興行で得る収入はチケットや飲食、グッズの売り上げ、球場の広告看板料、テレビの放映権料で構成されるとはいえ、入場料収入の占める割合がやはり大きい。

しかし、ベイスターズは'98年に日本一になった後、チームは低迷を続け、横浜スタジアムも空席が目立ち、私が就任する前年の'11年には約24億円の赤字でした。普通の会社なら潰れています。

「チームが強くなればファンは増える」というのは大原則ですが、すぐに強くなれるかどうかは、野球素人の私にはわからない。でも、球団職員の一人一人は強くなれる、と思ったのです。

そこで、社員の考えや組織の文化を知るために当時120人ほどいた全社員と1対1で、1人に対し、必ず30分以上の面接をしました。

その過程で浮き彫りになったのが、「ぬるま湯体質」でした。プロ野球の世界は、放っておいてもシーズンは到来し、次の試合も来る。無理に変えなくても、仕事は回っていく。いわば悪い意味でのルーティンワークに陥っていた。球団を健全経営に変えるには、社員の意識を根本から変えなければいけなかったのです。

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