2016.12.16
# 文学

ボブ・ディランの詩はここがすごい! 難解だなんてウソです

極私的ディラン耽溺記
堀井 憲一郎 プロフィール

いまも心に残るフレーズ

はげしい雨が降る』は、とても幻想的な詩である。身体を削り、肌に突き刺さるようなシーンが並べられ、次々とうつりかわる。はげしくディランの幻想に巻き込まれていく。

ケネディ大統領時代のキューバ危機のおり、まもなく世界が滅びてしまうのではないかとおもったディランは、そのときに抱いていたいくつかの詩のイメージを、この詩にすべてぶちこんでしまった、という逸話を、そのむかし何かで読んだ記憶がある。

本当かどうかは知らない。でも、そういう言説が説得力を持つような混沌とした世界が提示される。聞いているだけでスリリングである。

『第三次世界大戦を語るブルース』やケネディと電話する『アイ・シャルビー・フリー』などは、たしかにそのとき落ちこぼれたイメージで作られたようにも見える。

* * *

処女詩集以降にも、いくつも魅力的な詩がある。

時代は変る』には勇気づけられた。「For the loser now Will be later to win」今日の敗者はやがて勝者となる。この一節をよく口ずさんでいた。

ハッティ・キャロルの寂しい死』は、先にメロディだけを聴いた。(吉田拓郎がこの曲に「準ちゃんが吉田拓郎に与えた偉大なる影響」という個人的な恋愛話をのっけて歌っていたのだ)。

その魅力的で説得力のある節まわしに、サビの部分「すべての恐怖をフィロソファイズし、ディスグライズし、クリティサイズする人たちよ、布っきれを顔から離しなさい、いまはまだ涙するときではない」というフレーズが襲いかかってくる。フィロソファイズ、ディスグライズ、クリティサイズは、理論、不名誉、批評というような意味だろう。このフレーズは最後には、顔をふかくうずめなさい、いまこそ涙するときだ、というフレーズに変わる。とつぜん、世界が広く見えた気になる。

サブタレニアン・ホームシック・ブルース

「ジョニーは地下室でクスリを混ぜている。おれは舗装道にいて政府のことを考えている」、というフレーズで始まる軽快な詩である。地下室「basement」舗装道「pavement」政府「gavernment」と心地いい音が続く。

ボブ・ディランの一一五番目の夢

メイフラワーに乗って陸地が見えた、というところから始まる長い詩である。スリリングな気分で言葉を辿ってくると、なにか愉快な気分になってくる。

エデンの門

エデンの門の外にあるさまざまな〝動〟と、門の内側にある静謐がくっきりと描き出される。

イッツ・オーライト・マ

「真昼の裂け目の漆黒が、銀の匙を影にしてしまい」と歌い始める長い曲は、第一フレーズが、noon,spoon,ballon,moon,soonときちんと同じ音で並べられている。各節ごとに音が変わっていく。それをたたみかけるように、早口で一気に喋るように、ディランは綴っていく。

イッツ・オール・オーバー・ナウ、ベイビー・ブルー

ディランの強い決意が伝わってくるような詩。

廃墟の街

11分もある長い曲であり、この詩のもつイメージは凶悪で壮大で、示唆的で幻想的である。そのイメージの強さに何度も聞き返してしまう。 

追憶のハイウエー61

「40本のレッドとホワイトとブルーの靴紐に、1000台の鳴らない電話がある」「五番目の娘が十二夜に、第一の父に言った」「第二の母は第七の息子とともにハイウェイ61にいた」

数字がときに暗示的に、あるいは無意味に羅列されるのもディランの詩の魅力である。意味を探ってもどこにもたどりつかなさそうだが、でも無意味だろうと切り捨てる勇気も持てない。思考の混乱もまた快感になる。

ジョアンナのビジョン

ここにいないジョアンナのことを想う言葉が美しい詩となっている。

メンフィス・ブルース・アゲイン

同じところをぐるぐる廻っているような気分になってくる楽しい詩。聞いているととても元気になる。

ローランドの悲しい目の乙女

高貴なるものと卑賤なものが同価値で混じり合っている世界を暗示しながら、そこにはディランの哀しみがしっかりと感じられる。何度も惹きつけられるとても魅力的な詩である。

見張り塔からずっと

短い詩である。Watchtower見張り塔という言葉が刺激的である。ディランの立ち位置を示しているようだ。山猫が唸り、風が吠えはじまたところで詩は、断ち切られるように終わる。

フランキー・リーとジュダス・プリーストのバラッド

フランキーとジューダスの物語詩。フランキーは死んでしまう。

* * *

いまも心に残るフレーズがある詩たちである。

わたしがもっとも繰り返し聞いているのは『廃墟の街』と『ローランドの悲しい目の乙女』である。この二曲を聴き続けているだけでも、常に何かを刺激され、脳の中が刷新されるようである。

文字と音を真剣に追うけれど、でも意味は深く考えないのが、ディランの詩を聴く時のポイントだとおもう。ディランの詩の素晴らしいところは、やはり、詩人じしんが朗読してくれているところだろう。

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