2010.05.07
# 雑誌

灘高 元生徒会長 城口洋平の頭脳

本人は認めないが、世界一入社が難しい
IT会社の内定を断った伝説を持つ22歳

 灘高の生徒会長だった僕にとって「東大法学部現役首席合格」というのが、ある意味ノルマでした。ものすごいプレッシャーでしたね。自分の感じとしては、まさに命を削って勉強した。首席は無理でしたが・・・。

 大学に入った城口氏は、持ち前の好奇心と行動力でさっそく動き出す。参議院議員で東大医科学研究所客員研究員でもあった鈴木寛氏のゼミで触発され、日本にもアメリカのような「医療界のコンビニ」をつくろうと立ち上がり、資本金わずか120万円で、手軽に受診できる夜間診療のコンビニクリニックを、学生など20人の仲間と一緒に開院したのだ。

 代表には僕が手を挙げました。18~19歳の現役東大生が代表ならメディアが飛びついてくれるという計算も、いま考えると関係者内ではあったかと思います。

正解が分からない世界で生きる

 実際、新宿に第1号のクリニックをオープンした当初は、狙いどおり週何本もの取材を受け、クリニックとともに僕の顔と名前も一気に世間に知れ渡りました。

 でも、現実は甘くなかった。何とか最終的に黒字にはなったものの、チェーン展開などは夢のまた夢で、最後は他の医療法人にお譲りする形でなんとか収めるしかありませんでした。

 大きな挫折でした。自分で勝ち取ったと思っていたポジションも、周りに持ち上げてもらっていただけで、自分には実力も覚悟もなかった、と今では恥ずかしく思っています。

 だからアメリカに逃げたのです。向こうに住んでいた叔母に電話して、宿だけ確保すると、帰りの日程は決めず国外逃亡。もう自分の人生は終わったと、本気で思っていました。

 でも、このアメリカで素晴らしい出会いが待っていました。バイブルにしていた『ウェブ進化論』の著者であり、株式会社はてなの取締役でもある梅田望夫(うめだもちお)先生とシリコンバレーで出会うことができたのです。

 先生からは、本当の意味でたくさんのことを教わり、勇気をもらいました。中でも一番印象的だったのは、

「ITの最先端であるシリコンバレーのトップでさえ、"What'snextbigthing?"(次に来る大きな変化はなにか)というのが毎日の合い言葉なんだ。学生に分かるはずがないだろう」

 という言葉です。これを聞いて、そうか、分からなくて当たり前なんだと気づき、救われた。それまでの僕は、灘中・高、東大法学部と、常に目標があり答えがあったからです。でも、これからは正解が分からない世界に突入するんだ、と。

 そして僕が訪れたのが、まさにアメリカの歴史的な大転換のときだったのも起業の原点になりました。

 当時は'08年大統領選の真っ最中で、とにかくアメリカ中が熱かった。なんでこんなに熱くなるんだろうと呆れるくらい熱かった。ただ、マケインが勝っていたら、たぶん僕は起業していなかったと思います。

 老齢のマケインが勝ったら、「世の中こんなもんか」と思っていたでしょうね。でも、オバマが勝った。そのオバマがグーグルを訪れたときのニュースをテレビで見ました。

 グーグル社長のサーゲイとラリーが、「僕だって10万人の会社の社長をやるなんて思ってもいなかった。2人から始まってこうなっている。だから誰だって最初は同じなんだ」と言うのを聞いて、「あ、世の中が変わるんだ」という感覚を持ちました。

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