熱をあげたノーベル
世界中に賞は数あれど、国内から受賞者が出るたびに国を挙げたお祭り騒ぎになるのは、ノーベル賞くらいのものだろう。
「人類に最も貢献した人を表彰したい」というダイナマイトの発明者、アルフレッド・ノーベルの遺言に基づいて1901年に創設されたノーベル賞には、物理学、化学、医学生理学、文学、平和、経済学の6賞がある。
こうしてみると気になるのは、なぜ数学賞がないのか、ということだ。
実は、ノーベルが同じスウェーデン人のミッタク・レフラーという数学者と大層仲が悪く、「万が一にもアイツに賞をやることになるのはゴメンだ」と考え、数学を対象から外したのだとされる。
では、ノーベルはなぜレフラーを嫌ったのか。諸説あるのだが、一番有力なのは、ふたりが「恋敵」だったという説。
同時代に、ソーニャ・コワレフスカヤというロシア人の女性数学者がいた。大変な才媛だったが、同時に、周囲の男を惹きつけてやまない美貌の持ち主だった。
当時は女性が学問を修めることに理解のない時代。ソーニャは色々な国を転々とした末にレフラーと知り合い、彼の紹介でストックホルム大学の教員の職を得る。
レフラーに連れられ、ストックホルムの社交界にデビューしたソーニャはモテにモテて、会う男会う男に言い寄られた。なかでも、とりわけ熱をあげていたと言われるのが、ノーベルなのだ。
自分が思いを寄せる美しい女性の傍らにいつも佇んでいる優男。ノーベルがレフラーに深い嫉妬を抱いていたとしても、不思議はない。
ちなみにレフラーは複素解析における「ミッタク・レフラーの定理」で知られ、ストックホルム大学の学長にまで上り詰めたほどの大学者。ノーベルが危ぶんだ通り、数学賞ができれば、受賞の可能性は十分にあった。
ちなみに、恋多き女と言われたソーニャだが、ストックホルムに来る前に夫と死に別れて以後、再婚はしておらず、レフラーとの仲も謎のまま。
ノーベルの取り越し苦労だったのかも?(岡)
『週刊現代』2017年2月18日号より