漁港の人妻売春
1981年2月——
タクシーのラジオから寺尾聰の『ルビーの指環』が流れている。
フリーランスの物書き業をやりだして半年がたった私は、男性週刊誌の編集長からある任務を依頼された。
「千葉の漁港近くの繁華街で人妻売春の噂があるんだよ。潜入取材してこないか」
噂のもとは、遠洋漁業に行ってる亭主たちの奥さんたちが、こっそり売春しているというのだ。
「漁港近くの繁華街」というヒントだけを頼りに、私は千葉県のとある大きな駅に降り立った。

さて——
これからいったいどこから当たりをつけたらいいのか。
それらしき飲み屋、スナックで酔客やマスターに探りを入れてみたが、当たりはない。
10軒近くあたったものの空振りばかりだ。 タクシーを拾い、漁港らしき所まで足を伸ばそうとした。
「運転手さん、なんか面白い所知りませんか?」
「どんな所がいいんですか?」と中年タクシードライバー。
「港のそばで女遊びできそうな所とか」
「うーん。そういうのはわからないねえ」
「人妻と遊べる店があるとか小耳にはさんだんだけど……」
赤信号で停止。前を向いていた中年タクシードライバーが振り向いた。
「お客さん。遊んでみる?」
繁華街が途切れるあたりにタクシーを止めると、ドライバーは車から降りてアーケード街に立っていた70代の男と話し出した。すぐにもどってくるかと思ったが、なかなか終わらない。ときおり70代の男がタクシーの中の私を見ているようだ。
好奇心が不安に変わりつつあった。
縄張りを荒そうとした異邦人をどうしようか、相談しているのではないか。
このまま降りて帰ろうか。
タクシードライバーと70代の男がこっちを見た。そして密かにやりとりをしている。
タクシードライバーがもどってきた。
「じゃ、あのおじさんについてって」
アーケードに立っていた70代の男は女を斡旋するポン引きらしかった。タクシー運転手は小遣い稼ぎでポン引きしたのだろう。
運賃をタクシードライバーに支払うと、私は70代の男に連れられて繁華街の裏道を通りぬけ、殺風景な小屋に案内された。
小屋は6畳一間に暖房設備もない寒々しいものだった。
「可愛い奥さんがやってくるから、ちょっと待ってて」と70代の男が言った。
漁村で夫が遠洋漁業に行って留主にしているあいだ、寂しさに耐えかねた女房が趣味と実益を兼ねて、夫以外の男にカネで抱かれる、という噂は本当のようだった。
70代の男に1万5千円を渡した。
あのタクシードライバーには先にポン引き代を手渡しているのだろう。
部屋に私ひとり取り残されて、人妻の出現を待つ。
冷え切った部屋であったが、これから登場する人妻に期待はふくらむ。
20分ほど過ぎたころ、戸の向こうから野太い声が聞こえた。
「寒いわねえ」
現れたのは——
大相撲大運動会で女装してリレーする力士のような大女だった!
パンチパーマ、おそらく40代か。これはドッキリカメラなのかと一瞬思ったが、どうやら現実のようだ。
「早くしてよ」
前戯もろくにせず、私を上に乗せる。私の眼下には、目を閉じた女装力士のような女が鼻息を荒くしていた。鼻毛がそよぐ。女装力士女は手で私のモノをしごきだすのだったが、私の分身はいやいやをしたままだ。すると女装力士女は手をそえて私の分身を秘部に押し当て、低い声で悶えだした。
合体もなにもできていないのだから、あえぎ声も演技にちがいない。あえぎだした口から、虫歯でぼろぼろの歯がむきだしになり、さっき食べたばかりのニラのようなものがはさまっているのが確認できてしまう。
「はい、おしまいだよ!」
不発のまま、タイムアップ。
寒さにくわえ屈辱に全身を襲われながら震えていると、女装力士女が甘え声で「お小遣い、ちょうだい」とねだってきた。私は脱いだズボンから財布を取り出し2千円渡した。
亭主が遠洋漁業に行ってる留守を見計らって体を売る、という話は本当なのか聞いてみたが、女装力士女はあいまいに笑うだけだった。
編集部に引き揚げ報告すると、編集長以下全員が大笑いとなった。
漁港の人妻、というキイワードは団地妻とともに70〜80年代のアンダーグラウンドのキイワードだった。
関西圏のとある小島は江戸時代から売春産業が盛んで、嵐を避けてこの島に避難してきた漁船、商船の乗組員を相手にその手の商売をしたのが発祥とされる。
団地妻は、60〜70年代にかけて西日本のいくつかの団地で主婦がグループを形成して春をひさぎ、摘発を受けて社会問題になり、秘密めいた隠語にまでなった。