死者33名史上最悪の「人災」ホテルニュージャパン火災を振り返る

東京23区全域の消防車が集結
週刊現代 プロフィール

あまりに、あまりに無責任

大下 隊長が自ら危険な現場に行くのも、規則違反ですよね。

高野 それは承知していましたが、自分がオレンジの服を着て厳しい訓練をしてきたのは、人の命を救うため。「可能性がある以上、見捨てることはできない」という思いでした。特に隊長になってからは、危険な場所は最終的には自分が行くと、決めていたんです。

山林 戦艦が沈むときは艦長が最後まで残るのと同じだ。

高野 窓から部屋に入ると、足下に男性の姿を発見し、身体をロープで結んだその瞬間……フラッシュオーバーが発生。とっさにその男性に覆いかぶさったので男性は無事でしたが、私は全身を炎に包まれました。

それでもなんとか男性を抱えて立ち上がった瞬間、2度目のフラッシュオーバーが起きた。今度はヘルメットの隙間からも炎が入った。「もうダメだ」と思ったのと同時に、上から命綱で引き揚げられ、なんとか救助することができました。

 

山林 高野さんは、耐火構造のホテルがこれだけの大火災になった原因は何だと思いますか。

高野 第一は従業員の初動のまずさ。発見後すぐに通報するべきでした。第二は建物の構造。部屋の仕切りがブロックを重ねただけで隙間を完全に埋めずにベニヤを被せた上に壁紙を貼っていたので、火がこの隙間を通って隣室に燃え広がったのです。スプリンクラーも大部分は配管が通ってない「ダミー」でした。

山林 ホテルは複数の棟から構成されているため、迷路のようになっていて、逃げ道がわからなかった。それも死者が増えた原因だと思う。

高野 実は私は、火災の2ヵ月前にたまたま現場を視察しているんです。火災が発生したら思うような救助ができないと感じ、上司にも報告したのですが、改善せぬまま火事が起こってしまった。

大下 ニュージャパンの創業は1960年。元々は高級アパートメントとして計画されていたが、東京オリンピックのため急遽ホテルに計画変更された。迷路のような構造もその影響でしょう。

ところが'70年代後半から経営が悪化。'79年にホテルを買収したのが横井でした。彼は経営改革を断行し、客の目を引く調度品には惜しみなくカネをかける一方で、儲けに関係ない防火設備や、老朽化した壁の修復には一切カネをかけなかった。

山林 確かにロビーのシャンデリアや家具の豪華さに比べて、客室の壁が安っぽい新建材なのが不自然に感じました。

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大下 当時、横井は「乗っ取り屋」と呼ばれていましたが、今で言えばM&Aの元祖です。貧しい家に生まれ、東京に出て繊維問屋に就職。学校もろくに行っていないのに17歳で会社を興し、大成功した立身出世の人物でもあります。

転機は老舗百貨店「白木屋」の買収でした。白木屋は慶応閥一族が経営する名門だったため、旧経営陣は横井に対して「どこの馬の骨かわからない人間に経営を任せるわけにはいかない」と横井を追い払ったんです。その言葉に激怒し、余計にカネだけを信じるようになった。見方によっては悲しい男です。

高野 火災の数日後、入院先の病室に横井の秘書がやってきました。風呂敷に包まれたおカネを差し出して「社長に代わって持参しました。お納めください」と言うので、思わず「何人の人が命を失ったと思っているんだ!」と怒鳴りつけ、突き返しました。

山林 不思議なのは、消防が防火体制を改善するよう指導していたのに、それは無視してかまわなかったのですか。

高野 当時の消防法には今ほど強い権限がありませんでしたから「改善します」と答えてやり過ごすことができたんです。むしろあの事件で初めて、防火管理や責任者の罪が問われることになった。

大下 最終的に横井には禁固3年の実刑が下ったけど、あまりにも犠牲が大きすぎましたね。

山林 私たちが9階からロビーに辿り着いた時、横井がいたのですが、いつもの真っ赤な蝶ネクタイ姿でした。「出来る限りの補償をさせていただきます」と頭を下げていたけど、結局、最低限の補償しかしなかった。

高野 火災の後、横井は「自分たちは被害者だ。悪いのは寝たばこのイギリス人だ」と繰り返していました。確かに火事の直接的な原因はそうですが、防火設備が整い、従業員が訓練されていれば、これだけの大惨事にはならなかった。あれは明らかに「人災」ですよ。

大下 今、ホテルの跡地はプルデンシャルタワーになっていますが、横井はあの土地を現・米国大統領のトランプに売って、トランプタワーを建てようとしていたそうです。権利を持っていた千代田生命が難色を示したためこの話は流れましたが、最後まで復活を目指していたのでしょう。

田園調布の自宅の庭にはニュージャパンで使っていた焼け焦げた門柱などが放置されていた。将来何かで使えると思ったのか。実に執念深い男でした。

山林 客の安全よりカネ儲けに執着したことが、あの大惨事に繋がったのに……。最後まで変わらなかったんですね。

大下英治(おおした・えいじ)
44年生まれ。政・財・芸能界など幅広いジャンルを手掛けるノンフィクション作家。著書に横井英樹の生涯を描いた『錬金術師 四巻』がある
高野甲子雄(たかの・きねお)
48年生まれ。'78年特別救助隊に入隊。火災当時、救助中に自身も大火傷を負う。現在は防災や救助などの講演活動を全国で行っている
山林則雄(やまばやし・のりお)
48年生まれ。火災前日にホテルニュージャパンで結婚式を挙げ、火元となった9階に宿泊。夫婦揃って自力で奇跡の生還を果たした

「週刊現代」2017年2月25日号より

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