2017.03.25
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「国民的詩人」宇多田ヒカルは、何を歌っているのか?

だから彼女は絶大な支持を得た
現代ビジネス編集部

 これまで母である藤圭子さんとの関係性を軸にしたり、ヒットの要因を社会や産業の分析として論じるものはあったけれども、杉田さんのような語り方で彼女の言葉に迫る批評は少なかったように思います。

「詩人としての宇多田ヒカル」については僕も感じるところがあって、日常から真理へたった2行で到達するような凄みがありますね。

たとえば、『道』で「調子に乗ってた時期もあると思います/人は皆生きてるんじゃなく生かされてる」のように、自らと重ねられてもおかしくはない「調子に乗ってた時期」というフレーズをさらっと書いて歌ってしまう。

杉田 宇多田さんの曲は、抽象的な歌詞の中に生活臭のある具体的なものが突然出てきたり、逆に日常的なことを歌う歌詞の中に抽象語がぽんと出てきたりする。異物感がおもしろいというか。そういうところがありますね。

 歌詞って「大仰なこと」を言いがちだと思うんです。僕はいつも歌詞に関しては「輪投げの輪」という言い方をします。「寂しい」や「会いたい」や「愛してる」という言葉はすごく大きな輪で、それを投げれば誰かの心には収まる。だから、大きい輪を投げて的に入ったとしても難易度が高いことではない。

そうではなく、どれだけ小さい輪のような言葉を選んで、それを見事に刺さるように投げられるかが、僕は歌詞の才能だと思っています。いしわたり淳治さんやスガシカオさんなど優れた歌詞を書くミュージシャンや作詞家は、それを理論立ててやっていると思うんですけれど。

その流れで言うと、宇多田さんは曖昧な言葉をあまり使わない。対象をピンポイントで示す描写を使いつつ、所々で口語的な表現を必殺技のように繰り出してくるイメージがあります。

 

杉田 彼女はたとえば谷川俊太郎や伊東静雄、中原中也といった、ある種の「国民的な詩人」と呼ばれる系譜に近いんじゃないかなとあえて言ってみたかったんです。

彼らの詩は、非常にシンプルで「ありきたりな言葉」を基本的には使っています。しかし言葉の一つひとつを非常に考え抜いてつくり、なおかつそれが宗教性や宇宙的なものにまでふっと突き抜けてしまう力を持っている。

そういう系譜に位置付けることで宇多田さんという存在のある側面が見えてくるのではないか。

椎名林檎と宇多田ヒカルの違い

杉田 逆に、こちらからもいろいろお聞きしてもいいですか?

 もちろん、どうぞ。

杉田 柴さんと僕は対極的な書き手だと思います。柴さんは音楽を取り巻く環境やメディアの構造的な分析から対象に迫っていくけれども、僕は音楽業界の動向もわからないからその分析が全くない。

その違いを前提にした上で伺いたいのは、柴さんにとって宇多田ヒカルはどういう存在なのでしょうか。

宇多田さんって、メディアに対するスタンスが特殊ですよね。ライブはあまりせず、ラジオというメディアをすごく重視している。とはいえ、別にレガシーなメディアが好きというわけでもなく、ホームページやWebを使ってファンに向けて自分を表現することを先駆的にやってきた人でもある。

メディア的な古さと新しさがまだらになっているというか、メディアの使い方に独特なハイブリッド感のある人だと思うんです。

 僕の考えでは、杉田さんが言ったように宇多田ヒカルという存在がまず「特殊である」ことからスタートせざるを得ないと思います。

彼女が先行するシーンの影響を背景に音楽性を確立してきたシンガーだったり、もしくは彼女のやり方が一つのモデルとして踏襲されていたら、なんらかの環境分析が成立します。

けれど、彼女の表現って本当に「個」でしかない。『ヒットの崩壊』で僕が書いたようなやり方では、宇多田ヒカルさんに迫ることはできないと思っているところはあります。

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