2017.03.25
# 音楽 # カルチャー # メディア・マスコミ

「国民的詩人」宇多田ヒカルは、何を歌っているのか?

だから彼女は絶大な支持を得た
現代ビジネス編集部

杉田 『ヒットの崩壊』は、現代文化や音楽技術の可能性の最先端を体現するようなアーティストを対象にしていますよね。確かに宇多田さんはそれらのアーティストとはスタンスが異なります。かといって、それらの最先端の環境から必ずしも孤立して活動をしているかというと、そうでもない。

たとえば、2016年末のNHK紅白歌合戦では、椎名林檎さんが東京都庁の前で、音楽とテクノロジーと演劇的なものを融合させた総合芸術を展開しました。一方で、宇多田さんは東京の会場ではなく、ロンドンの暗くて何もない赤い部屋から一人でただシンプルに歌った。

同時代にデビューした椎名林檎と宇多田ヒカルは、現代的なメディア環境に対する立ち位置が両極端でありながら、その圧倒的な存在感において、どこかで共鳴している点が面白いなと感じました。

 自著に引き寄せて話すと、『ヒットの崩壊』のモチーフになっているものの一つは、音楽フェスやテレビ番組の風景なんです。ライブでオーディエンスの手がわーっと上がっている風景、すなわちポップソングの参加可能性や共有可能性について書いている。

つまり、何かの状況に対して、多数がリアクションを示している様を分析しているんですね。紅白歌合戦でいうなら、星野源がNHKホールで「恋」を歌ったときに大勢の出演者が「恋ダンス」を踊った状況です。

杉田 あれも素晴らしかったですね。新垣結衣さんが出てきて一緒に踊るのかと思いきや、そうしないのがよかった。『逃げるは恥だが役に立つ』的には、女性が無償労働をしちゃだめなわけです(笑)。それでいながら、新垣結衣さんも離れた席からちょっと体の共鳴はしていて、全体としてすごく楽しそうだった。

 ええ、とても素晴らしい。一方で、まさに杉田さんが指摘した通りで、宇多田さんの場合はその「場」がない。参加型かつ共有型のポップソングのあり方に、一貫してずっと背を向けている。ミュージックビデオも、ラジオも、基本的には「自分の部屋」のようなパーソナルスペースから届けている印象がある。

 

杉田 ラジオが重要なのは、宇多田さんの個人的な部屋と、リスナーだけの部屋がダイレクトに親密につながっている感じがあるからかもしれないですね。

しかもそれは時に、テレパシー的というか、あるいはセカイ系というか、曲で言えば『HEART STATION』のようなイメージにも結び付いている。そういう感覚を大切にして、リスナーとの距離感と親密さを育んできたのかなという気がします。

 そうですね。宇多田ヒカルのことを語るときって、どうしても「何百万枚売れました」という数字から入るのがよくあるスタート地点になってしまう。それも仕方ないことなのですが、彼女の表現の本質は、そういった数字にはない。

むしろ、親密空間が「パーソン・トゥ・パーソン」でつながることにある。すると、状況論ではなく、個々人がそれをどう感じたかという語り方のほうが対象に迫れることになる。

ここで問われるのが「批評の腕」だと思います。軟弱にやってしまうと、気持ち悪さだけが残ってしまう。杉田さんの『宇多田ヒカル論』は、そこをどれだけ骨太にやれるか、という挑戦を試みている本だと感じました。

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