マレーシアには感謝しかない
近づいて声を掛けると、田児は立ち止まって戸惑ったような表情を浮かべ、「はい」と返事をしてから「歩きましょう」と言った。
そして「取材ですか? 無理だって。見たでしょ? 俺が話をした時にめちゃくちゃに叩かれたの」「騒動があって色々と記事に出たじゃないですか。批判だとかありましたけど、全部、自分なりに考えて発信したことなので、それ以外に話をする必要はありません」と拒絶反応を見せた。
そこで私は、フィリピンに長年住んでいることを伝え、田児に非難の集中砲火を浴びせた日本社会に疑問を持っていることを伝えた。すると、最寄り駅まで歩きながら現在の心境を語ってくれた。
田児は「自分を拾ってくれたマレーシアに感謝している」と切り出し、こう言葉を継いだ。
「たとえばマレーシアで不祥事を起こして活動できなくなった人が来日し、日本人がサポートしてくれるか、って言ったら現実的ではないでしょ。でも俺みたいなヤツでも、マレーシアに行けば、背中を押してくれるっていうか、もう1回頑張れよって言ってくれる温かさには感謝しています」
マレーシアの首都クアラルンプールで暮らす田児はプロ選手として活動し、出場可能な試合には出ているという。だが、まだ無収入。このため所属チームの寮で暮らし、食事はそこで食べさせてもらう。
両親からの援助はない。貯蓄についても田児は「ない」と答えたので、「闇カジノで使ってなくなったのか」と尋ねると、「まあ、使っちゃってないんじゃないですか」とお茶を濁した。
このためマレーシアの生活ではお金をほとんど使っていないという。これまで獲得した賞金額が2千万円を超えていたことを考えると、坂を転げ落ちるような凋落ぶりである。
「マレーシアのリーグに所属はしていますが、ギャラは一切もらっていない。去年の収入は一銭もありません。今年ももらえるかどうかわかんないです」
蕨駅の改札に着いたところで、田児は自身の苦境を明らかにした。
「たまにあるバドミントンのイベントに出てお金はもらっていますが、小遣い程度です。日本に帰国する時は、これまで溜まっていたマイルを使ったり、お世話になっているマレーシア人に出してもらったりしていますね。
まずは練習です。試合についてはルールに基づき、出場可能な試合を選んで活動しています。いま置かれた状況で前向きに、できることをしっかりやれればいい」
処分を受けたバドミントン協会には、4ヵ月ほど前に謝罪に行ったとも明かす。
今後もマレーシアでずっと選手生活を続けていくつもりなのだろうか。そう問い掛けると田児は「全然そんなことありません」と否定した。日本に対する未練が残っているのだろう。