東芝がまともな企業に戻れる「最後のチャンス」は5月にやってくる
ここで間違えば、さらなる隠ぺいの恐れも…東芝が示す教訓
140年を超す歴史を誇る巨大企業・東芝の命脈が風前の灯火だ。問題は、本コラムで先週取り上げた原子力事業の決算処理だけではない。(先週のコラム:『東芝が「紙クズ同然の決算書」を公表した本当の狙い』)
過去に出した損失を埋めるため、虎の子の半導体メモリー事業を売却するという生き残り戦略も近視眼的過ぎる。
半導体メモリー子会社「東芝メモリ」の売却が浮上した背景には、立場をわきまえず民間企業経営にくちばしを挟みたがるお上(経済産業省)と、目先の債権保全に躍起の主力銀行(メーンバンク)のプレッシャーがある。外野の雑音が混乱に拍車をかけているのだ。
とはいえ、経営危機という混乱が起きた原因は、東芝自身の当事者能力の乏しさにある。2006年の米ウエスチングハウスエレクトリック(WEC)の高値掴みという経営の失敗を10年以上も頑なに認めようとせず、事態を悪化させてきた歴代経営陣の責任は計り知れない。
それぞれの経営者の失敗のもとは初動にある。一度でも妥協してしまうと、刷新の機会を失うだけでなく、守旧派勢力と事実上の共犯関係に陥り、損失処理が困難になるからである。実は、東芝に限らず、初動に失敗して破たんに至った企業は少なくない。損失先送りのツケは、必ず回ってくるものなのだ。
どんな企業であれ大きな損失を抱えたら、経営者は引責問題や経済マスコミの批判を恐れずに、速やかかつ果敢に処理すべきである。東芝問題は改めて、この当たり前の大原則を守らなければ企業の命脈を保てない、という教訓を我々に示している。
