江戸は物語をつくる宝庫
江戸時代は1603年から1867年まで270年近く続いたにもかかわらず、大きな変化がなかったことが面白い。世界的に電気エネルギーが全くない時代でテクノロジーの急激な進化がなかったのも要因だろう。実際に石炭を燃やす蒸気機関の発電所を作って銀行や大商店に送電を始めたのは明治20年になってからだった。
また徳川政権は世の中が変化して政府転覆の動きがないよう治めていた。270年の間に食や芸能、美術の発展はあっても人間の生活はそれほど変わってないように思える。
旅をするのも、船や馬や駕籠などもあったが、基本歩くことは変わってない。明かりも蠟燭や油を燃やす灯火を使い続けていたし、冬の暖房も火燵か火鉢以外見当たらない。田舎では松明や囲炉裏があるぐらいだろう。
そんな江戸時代を辛抱強く生きてきた日本人は、ほぼ単一民族で他国の影響をほとんど受けずに地道に少しずつ生活を便利にして暮らしてきた。江戸で落語ブームが起きた頃、1858年日米修好通商条約が成立して幕末の江戸に横浜から外国人が入ってくるようになった。
植物学者や船員の他にはあのトロイの遺跡を発見するハインリッヒ・シュリーマンがいて、江戸で歌舞伎の鑑賞などもしている。そんな幕末の江戸を生で見た外国人の日記が多く残されていて、その人たちの日本人の印象が面白い。好奇心が強く、明るく天真爛漫、若い娘はいつもケラケラと笑っている。「清らかな素朴さ」と表現したのはシュリーマンだ。
かれが湯屋の前を歩くと素っ裸のままの男女が飛び出してきて、シュリーマンの周りを囲ったというからなんて大らかな人たちだろう。まさに落語に出てくる与太郎そのままではないか。
とにかく外国人には江戸の庶民は素朴で陽気で明るく見えたらしい。ぼくはそんな人達を絵本や小説に登場させたいと思った。新刊の『絵本 江戸のまち』も、町の様子や建物がどうのというよりも、江戸人が楽しげに生活している様子を描こうと思った。
江戸時代は今の東京とは比べものにならないほど自然が多く残っていた。大都市江戸でも鶴やカワウソが町の近くで生息していた。住んでいる長屋は質素で狭くても、自由な自然空間が芸術家の感性を刺激してくれたことだろうし、子供達の遊び場も豊かだったと思う。
日本橋を中心にした江戸の町は今の東京と比べると狭いエリアだが、今はない面白い商売、職人、その人間関係やしきたり、生活があり、物語を作る題材の宝庫といっても過言ではないだろう。
古典落語には面白い話がいくつもあるが、江戸にまだまだある話の種を見つけて、これからも物語を作っていきたいと思う。最初に話した長崎ルーツの父方の親戚はアメリカだったが、母は東京の浅草生まれで、ぼくの祖父はそこでの職人だった。そのことが今のぼくになんらかの影響をもたらしているような気もする。
読書人の雑誌「本」2017年6月号より