2017.08.06
# 文学

国民的詩人・大岡信の超早熟っぷりにあらためて驚嘆する

小林秀雄の引力圏から遠く離れて
三浦 雅士

詩人たろうとする強い意志

だが、『現代詩試論』と『詩人の設計図』においてもっとも重要なことが、小林の引力圏からの脱出などにあったわけではもちろんない。

むろん、これ自体が重大な問題であったことは、たとえば、小林のランボーに代えて、吉本隆明はマルクスを、澁澤龍彥はサドを契機に小林から逃れようとしたと見なして――田村隆一は小林を吸収し尽くして逃れようとしたように見える――新たな文学史を構想できることからも明らかだが、大岡はしかし、エリュアールを契機にして、あるいはシュルレアリスムを契機にして、小林から逃れようとしたわけではない。

大岡がこの図式から食み出ることは、自身が詩人であること、詩人に執着することに最大限の力を注いだところに明らかである。

大岡は詩人であることに全力を注いだ。

すぐれた批評家でなければならなかったのは、詩人がそれを必要としたからである。批評を内包しない詩、詩を内包しない批評は、大岡にとっては無意味だったのである。

このことは、1952年に脱稿された卒業論文『夏目漱石』の出来が、文芸批評として図抜けていたにもかかわらず、それをもって世に出ようなどとはまったく思わなかったことからも明らかである。

これは、その4年後に江藤淳が『夏目漱石』をもって文壇に登場したことと対比してみればよく分かる。私には、大岡の漱石論のほうが江藤のそれよりはるかに魅力的に思われる。だが、大岡の念頭には詩人たろうとする意志はあっても、いわゆる文壇批評家になる意志はまったくなかったのだとしかいいようがない。

普通の出版社ならば、『現代詩試論』よりは『夏目漱石』を刊行するほうを採るのではないかとさえ思われるが、大岡にはそういう発想がまったくなかったのである。ひたすら詩に集中していた。

美術批評に手が伸びたのは、絵画と批評の関係が、詩と詩論の関係に似ていたからにほかならない。『詩人の設計図』に収録されたクレー論はそのまま詩人論であり詩論なのである。

 

自働記述をめぐって

『現代詩試論』は、日本の昭和初年代のシュルレアリスムの浅薄な流行を批判するところから始まり、『詩人の設計図』は、フランスのシュルレアリスムの抱え込んだ矛盾を、とりわけ自働記述の矛盾として検討するところで終わる。エリュアールはその矛盾を、自己の詩の拡張を図ることで乗り越えたというのである。

その当否を云々するだけの能力が、現在の私にはない。フランス語を味読するだけの能力は今後も獲得できそうもないから、将来もないだろう。だが、興味深いことは、そこに描き出された自働記述の姿である。

だがシュルレアリストにとっての自働記述は、美を生みだすための手段であったのではない。美は自働記述の過程において発見されるものであって、発明されるものではない。それは自働記述が単なる内的独白などとは異なり、意識的人間と彼自身の内部にあって全宇宙とひそかに交信している神秘的な隠れた部分との対話であることを常にめざすべきものと考えられていたからだ。

自働記述はシュルレアリストにとっては単なる文学的構成の一様式ではなく、宇宙および人間の未知の領域を探るための強力な武器であった。シュルレアリストたちを動かしていた衝動は、文学的あるいは芸術的野心であるよりも、はるかに人間の総体を知ろうとする野心、いわば〈人間の科学〉であった。(強調引用者)

詩人は「自作の詩のすべてをつかんではいない」だけではない。むしろ逆に「つかんではいない」ところからこそ出発すべきなのだと述べているようなものだ。

それにしてもこれは、「草木国土悉皆成仏」という語に象徴されるいわゆる天台本覚思想に酷似した着想とでもいうほかない。

かりにそれが唐突であるとすれば、ヘルダーリンらを魅了した古代ギリシア思想の「ヘン・カイ・パン」すなわち「一にして全」、あるいはヴェーダンタ哲学の、たとえばシャンカラの説く「梵我一如」に呼応する着想といってもいい。

いや、一粒の砂に宇宙を見るブレイク、万物照応を感覚するボードレール、あるいは樹木を通して宇宙と交感したリルケ、さらに広くとれば、ロマン・ロランのいう「大洋感情」とさえ繋がってゆく着想であるということにもなるだろう。

詩人たるものすべからく、ということかもしれない。

大岡がこの「自働記述の諸相――困難な自由」を発表したのは1957年の「みづゑ」6月号だが、驚異的なバランス感覚というべきか、同年の「ユリイカ」11月号に「人麻呂と家持」を発表している。

東西の広がりだけではなく、古今の広がりをも取って、均衡を保とうとするかのようである。

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