不倫で出世
ただ、内済がうまくいかないケースもあったようです。再び水野為長が世間の噂や情報を書きとめた『よしの冊子』から紹介しましょう。
銀座に住む幕府の御目見医師・芝田元養の妻は、夫の内弟子と不倫関係になり、夫を殺害しようと毒まで買ったことが発覚しました。しかし、御目見医師という立場もあったからでしょう、元養は示談で済ませようとします。
ところが仲介を頼んだ大家がことの深刻さに驚き、示談するのを承知せず、奉行所沙汰になってしまったのです。しかも運が悪いことに同じ時期に、嫁いでいた元養の娘も男との密通がばれて離縁されていました。
そんなことが重なったからでしょうか、元養は腕の良い医者でしたが、妻と娘の不倫のため、「今後、幕府は元養を召し出すことはないだろう」と為長は述べています。現代風に言えば管理不行き届きということでしょうか。

これとは逆に不倫によって出世した珍しいケースもあります。金森靭負は、伊予松山藩主・松平隠岐守定国(寛政の改革を断行した松平定信の兄)歌の師匠でした。問題は、靭負の妻の八重崎です。
もともと彼女は松山藩の中老の娘で、城の奥勤めをしており、すでに定国のお手がついていた。ところが靭負は、定国の住む愛宕の上屋敷に出入りして彼に歌を教えているうち、八重崎と密通してしまったのです。
やがてふたりの道ならぬ関係は周囲の知るところとなってしまいました。当然、殺されても文句はいえません。ところが八重崎は不首尾だとして暇を申し渡され愛宕屋敷への出入りは禁じられたものの、靭負との結婚を許されたのです。しかも不倫相手の靭負は何の処罰もないうえ、そのまま歌の師匠を続けられたのです。
これは、八重崎の実父である中老が、藩主の定国にとっての忠臣であり、この不始末にあたって必死に靭負を守った結果でした。ちなみに八重崎が宿下がりした際、すでに妊娠しており、生まれた子が定国の子か靭負の子かわからないというのがもっぱらの噂だったとか。
権力者に近しい人が罪を犯しても有耶無耶になってしまうのは、昔も今も同じということでしょう。
今回は不倫とその罪についてお話ししましたが、次回は不倫シリーズ第二弾として不倫と離婚についてお話しする予定ですので、楽しみにお待ちください。