格差はっきり
闘争のなかでは、「専任教授」と「非常勤講師」間の驚くほどの格差も明らかになっていった。これこそまさに大学側が隠したかったものだろう。非常勤講師らもうすうすは知っていたものの、まさかここまでのものだったとは、と驚きを隠せなかったという。
非常勤講師組合が2007年に発表した調査結果によると、非常勤講師の平均年齢は45.3歳、平均年収は306万円。44%の人が年収250万円以下だった。
一方早稲田の専任教授の年収は1350万円。専任教授の就業規程によれば、義務とされている授業のコマ数は週4コマである。
非常勤講師が4コマの授業を担当した場合、1コマ約3万円なので、年収は144万円。同じように大学院を卒業して、場合によっては非常勤講師の側は博士号をもっており、専任教員はもっていないにもかかわらず、その年収には10倍近い開きが生じるのだ。
非常勤講師は、生活のためにコンビニなど他のアルバイトをしている者も少なくない。研究者というよりも、巷間言われる「高学歴ワーキングプア」でしかなかった。なぜこのような劣悪な待遇差が生まれることになったのか、少しだけ歴史を紐解いてみたい。
非常勤講師は、戦前、私立大学ができたときに生まれた役割・制度だと言われている。旧制大学に移行する前の、旧制専門学校の頃から、早稲田と慶應以外のほとんどの大学では専任の教員がいなかったため、帝国大学の教授を非常勤講師として招いた。(『大学の誕生』(上・下)天野郁夫著・中公新書)
一説によると、帝大の教授は兼業が禁止されていたので、大学は「お車代」を渡したという。授業の対価は報酬ではなく「お車代」だったのだ。
戦後、文部省は私立大学の設置を次々と認可した。私立大学は予算がないので、専任教員よりも非常勤講師を多く雇用し、人件費高騰を防いだ。
その後、1991年に当時の文部省が「大学設置基準等の大綱化」により、大学の設置基準を簡素化した。一般教育科目、専門教育科目、外国語科目などの開設が義務ではなくなり、多くの大学は教養や語学の授業を削減。また、兼任の教員の合計が、全教員数の半分を超えないようにする制限規定も廃止された。その結果、専任の教員になれる人の数は極端に減ってしまったのだ。
さらに1995年に経団連が発表した「新たな日本的雇用」の方針によって、日本全体に非正規雇用が増えたことはご承知の通り。いまでは非正規雇用は全労働者の約4割に及んでいる。大学もまたしかりだが、大学教員は非常勤が占める割合がさらに高く、半分を超えている。このようにして非常勤講師の「専業化」が進み、身分と収入が固定化されてしまったのだ。
薄給でありながら、「労働者」としても認められていないのが、日本の非常勤講師の実態なのだ。