男性として生まれたものの自らの「性別」に違和感を覚え、同性愛、性同一性障害など、既存のセクシャルマイノリティへ居場所を求めるも適応には至らず、「男性器摘出」という道を選んだ鈴木信平さん。そんな鈴木さんが、「男であれず、女になれない」性別の隙間から見えた世界について、描いていきます。今回は「服装とジェンダー」の問題について大いに語ります。
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祖父の死
明け方の4時過ぎ。
まだ体半分だけ夢から抜け出た程度の覚醒で、鳴るスマートフォンの画面を見る。画面を見る前から、誰からの電話なのかは、きっと分かっていた。
「祖父が死んだ」
朝とも言えぬ時間の電話を詫びながら、母が言った。
私は連絡をくれたことに礼を言い、これからの動きについては改めて連絡すると言って電話を切った。
想像していなかったわけじゃない。
数年前には肺に病巣が見つかり、年齢も80才を超えていた。
ガンが先か? 寿命が先か?
いずれにしても、遠い話ではないと、誰もが思っていたことだ。
ベッドの中で、最初に仕事の段取りを決める。
東京から実家に帰り、通夜から葬儀となれば少なくとも3日は仕事に穴を開けることになる。それが何の影響も与えない程、存在感のない仕事をしているつもりはない。
次にペットの世話。留守の時に頼むシッターさんがつかまらなければ、友人にお願いしなくてはならない。連絡するリストの順番を、頭の中で組み立てていく。
そして一通りの見通しがついた後、これこそが本題だと言わんばかりに、難題が頭と心を埋め尽くしていった。
「喪服はどうしようか?」

決して、手元にない喪服の手配をどうしようかという思考ではない。クローゼットの奥深くにしまわれた、三つ揃えの礼服。
制服がなくなるからと、大学入学の時に用意したものだ。今なら最初に着た時よりも、ずっと様になるかもしれない。
ここへきて私は、当然のように、改めて「男」となるのだろうか?
この局面においては茶番では許されないと迫られるのだろうか?
祖父の死の知らせを聞いてから、私はまだ一粒すら、涙を流していない。