「強制退去」を命じられる、中国残留孤児2世らの悲鳴

母の死を嘆き、自分の血を売り
平井 美帆 プロフィール

「血を売って、お金をあげます」

周さんは滞納した家賃の支払いを、「罰金」と呼んだ。当時はまだ日本語がまったく話せず、助けてくれるような人もまわりにいない。そうこうしているうちにある日、裁判所から通知が届いた。行政側から明渡訴訟を提起されたのだ。

彼のなかでは、約束が違うではないかという思いが渦巻いていた。

「2000年、2002年。2回2回2回」

周さんは懸命に言葉をつないでこう説明した。遼寧省瀋陽市に住んでいた頃、厚生労働省の人たちが日本からやってきたという。2回とも、7、8組の残留孤児家族が集められ、ひと家族ごと部屋に呼ばれて永住帰国の説明を受けた。

母親は祖国に帰りたいようだったが、周さんの最大の心配事は日本での住まいだった。本当に、日本に移ってから住むところがあるのか。この点を担当官らに何度も確認したが、そのたびに心配しなくていいと告げられたそうだ。

高齢の親が亡くなった後のことは相談しなかったのだろうか。

「訊ねました。訊ねました。帰国者は親が亡くなったとき、この家住んでもいいですか? 日本いても大丈夫? 大丈夫です。私、安心しました」

 

コウセイロウドウショウ、ザンリュウコジ、キコク……。周さんは自分の身の上を説明するために必要な言葉は覚えている。

来日前、日本の役人には親切で優しいという印象を抱いていたが、実際に住んでみると違った。いまでは役所の人を見ると緊張してしまうという。明渡訴訟を起こされて、いよいよ追い詰められた周さんは、日本語の話せる息子に手伝ってもらって、なんとか民間のアパートに移れたが、当時は犯罪者のような気持ちにさせられたそうだ。

「本当、本当。私は体験しました。もし私、お金ないとき、中国に帰って血を売って、お金をあげます。どうぞどうぞ。私はお金あれば、必ず、罰金をあげます。大丈夫大丈夫」

滞納した家賃をどうしたのか。返済について詳細は語らなかったが、周さんは中国の売血まで幾度も口にした。

いまは妻とふたり、生活保護を受けながら、身を隠すようにして暮らしている。息子は日本語学校を卒業してから、仕事を見つけることができたが、周さんを取り巻く環境は一向に変わらない。50代半ばの中国人夫婦にとっては、日本語で一般の日本人と交流することも、働いて自立することも極めて難しい。とはいえ、もう中国に居場所はない。

ただ、静かな日々を送れればそれでいいのだ。己を納得させるかのように、周さんは言う。だが、その一方で、彼は私の目を強く見てこう訴えた。今度こそ、お願いだから信じてほしいといわんばかりに――。

「働きたい。仕事したい。日本に来て、みんなに溶けこんでいきたいです。ど、どうして、私は日本に来て、どうして……。みんな一緒に日本のことをがんばって……。ほんと、ほんと。本心で」

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