あまりに高いハードル
周さんが怯えている理由には、法的地位が不安定な点もあるだろう。彼も前出の張さんも、中国籍のままであるため、1年あるいは3年の在留資格をその都度更新して、日本に滞在しているにすぎない。
外国籍の生活保護受給は、在留資格に影響を及ぼしたと考えられるケースもあり、非常にデリケートな問題である。実際に、生活保護受給歴があるということで、在留資格の更新時、在留期間が3年から1年になったケースもある。
ところが、自分が選択さえすれば、自動的に日本国籍を手にする残留邦人2世もいる。この差はなんなのか。
日本国籍を得られない周さんと張さん。ふたりの共通項は年齢が近い、母親が日本人という点だ。父親が日本人ならば、子どもはいつの時点で生まれようと、日本国籍を取得できる。
だが、母親が日本人の場合、かつて日本の国籍法が父系血統主義であったために、生まれた時期によって、2世の一部は中国国籍にしかなりえないという不平等が生じた(1984年に国籍法が改正され、翌年から父母両系血統主義となる)。永住権取得や帰化には条件があり、高齢で日本に来たばかりの2世にはハードルが高い。
「みんなの体験は違います。一人ひとり、いろいろなこと違います」
しんみりと語る周さんには、退去騒動のとき、一緒に闘ってくれる仲間がいなかった。そのことでも孤立感を深めたのだろうか。周さんは他の中国帰国者たちと距離を置き、集まりにも滅多に顔を出さない。
残留孤児1世もかつて、日本社会の底辺に追いやられて孤立し、祖国でさらなる苦境に立たされた。1994年、「中国残留邦人自立支援法」によって、国と地方自治体による支援制度が成立したものの、現実に沿った支援とはとてもいえないものだった。
6割を超える孤児たちが生活保護に頼らざるを得ない状況が続いたことから、孤児たちは2002年12月以降、老後の生活保障などを求めて、国を相手に一丸となって国家賠償訴訟を闘った。
そして、ついに2007年11月に新支援策を盛り込んだ中国残留邦人支援法の改正案が成立。さらに、2013年12月には、1世の配偶者支援策を盛り込んだ改正法が成立し、1世世帯に対する公的支援はほぼ固められた。
だが、1世と異なり、公的支援の薄い2世は、より細分化した問題に直面する。