『裸足で逃げる』は、虐待を受けたり、彼氏からのDVをうけたりした、沖縄の6名の女の子たちの生活史をまとめた作品である。
私は著者の上間陽子さん(以下、敬称略)と2012年から共同研究をはじめて、著書で登場する6名の女の子のうち5名の取材に同行させてもらう機会にめぐまれた。
私は調査の場面で、「裸足で逃げる」女の子たちが、語り出す過程をみてきた。彼女たちが、語り出すまでの過程には、とても大きな困難があった。その困難に対し、どのような調査を積み重ねてきたのかについて、以下では述べる。
調査を続けるという困難
女の子たちのしんどい話には、元旦那からのDVや10代の頃の性暴力も含まれていた。そもそも、暴力や性被害の当事者が、「一度限り」であっても、その話を語り出すことは難しいことである。
しかし、上間と私は共同研究を始めるにあたって、女の子たちとは可能な限り「継続的」に話を聞く形で調査を進めると決めた。
私たちが調査を始めた2012年頃は、調査倫理をまもるために調査対象者に一筆書いてもらうという「形式」がはじまっていた。このようなことをしていたら、警察の尋問と変わらない。
調査対象者の女の子たちは、その都度に話すことは変わることもあるだろうし、1回話しただけでそのことを公にし、異議申し立ての機会を閉ざすような形式に、私たちはついていけなかった。
いつでもまた話を聞かせてもらって、書いたものを発表前に納得いくまで何度も読み合わせの場を設定し、そして書いたものに違和感が生じたり、その後の生活環境の変化で話したことが変わったら、その変化をまた書くことが調査する人間として大事な態度だと考えた。
しかし、私たちが調査対象とする女の子たちを継続的に調査することは、困難を極めた。まず生活の場所が転々とし、仕事も転職を繰り返すことが多く、連絡先も数カ月ごとに変わり、容易に関係が途絶えてしまう。
それに加えて、暴力や性の被害の話を乗り越えた話としてではなく(もちろん、それ自体も難しいことである)、その最中にある女の子たちとつながりを維持することは控えるべきではないかとも考えた。
そのような時期に、上間はさまざまなサポート役に徹した。彼女は警察や病院への付き添い、家族を含めた女の子らのサポートを実質的にすすめた。
そして、トラブルの最中にみたり聞いたりしたものを、急いで外部に発表しないようにした。これは速報性がそれほど重視されない学術論文だからこそ可能となったことであるが、その分、時間をかけて女の子たちとの読み合わせに時間を割いた。
実際に、上間は調査対象者とのデータの読み合わせを通じて原稿を没にしたり、完成した原稿の発表のタイミングを数年遅らせたりした。
このように、調査するということは、調査対象者に敬意の念を抱き、その人生を尊いものとして聞かせてもらうことである。これは社会学や学術分野に限らず、あらゆる取材の場面において、外せないことである。このようなことを共有し、私たちは女の子たちへの調査を始めた。