彼女たちは10代で出産、離婚などを経験し、現在の就労状態も不安定であった。
そのような世界に生きる彼女たちの語りは、過去から現在にいたる時系列や、現在の状況から未来を展望する際に一貫性や相互に関連しあっていることを見出すことが難しい。
むしろそれらのエピソードを相互につなげてしまうことの「無神経さ」に注意しなければならない。首尾一貫した物語、時系列の関連を想定して聞き取りをすすめれば、それらのエピソードは反発しあい、彼女たちを追い詰めてしまう。
優歌の聞き取りからは、物語を紡がないということに、重要な意味があったのかもしれない。
聞き取りの場面で物語をつくりあげていくことは、現在の生活が多くの人とつながることで成り立っていることを振り返り、そしてその生活が過去の出来事とつながり、未来を見通す基盤となりえる。
他方で現在の生活が暴力に満ちているなら、それは空隙となり、将来を見通す基盤にはならない。その時、物語を紡ぐことはできなかった。そんな彼女たちに必要なことは、責任の追及ではなく、責任の解除である。
改めて、この本の画期的な点は、女の子たちの「しんどい」話を、継続的に聞いてきたところである。
そうすることで、彼女たちの生活における人間関係の広がりと、人生に刻まれた印象的な出来事、そしてその困難が、そこには描かれている。そのような彼女たちの生活、人生に、上間は飛び込んだ。そして、彼女たちは少しずつ語り出した。そのためには、継続的に聞くことが欠かせなかった。
『裸足で逃げる』は、彼女たちの物語を記したアルバムである。