ロヒンギャの悲劇…男は虐殺、女はレイプされ、村は焼き払われた

スー・チー氏がはじめて公式声明

「和解と平和」を連呼

ミャンマーのアウン・サン・スー・チー国家最高顧問兼外相は9月19日、現地時間の午前10時から30分間、首都ネピドーで「政府の平和と和解に関する政策」について演説を行った。

ミャンマー西部ラカイン州で少数民族のイスラム教徒ロヒンギャ族に対する国軍など治安部隊による組織的殺害、暴行、家屋への放火などの人権侵害が深刻化し、国際社会から批判を受けていることに対してスー・チー顧問が初めて、公式の立場を説明する機会となった。

 

スー・チー顧問がニューヨークで開催されている国連総会への出席を取り止めてまで同日の演説に臨んだ背景には、国連という国際社会の場で欧米や人権団体からラカイン州で起きていることに「民族浄化」「大虐殺」などと厳しく非難されたり「ノーベル平和賞返上せよ」という批判を浴びたりすることを回避すると同時に、ロヒンギャ問題に真剣に取り組む姿勢を内外に示したいとの思惑があった。

そのため、演説会場には各国の外交団も招かれ、演説もミャンマー語ではなく英語で行われた。米CNNや英BBCなどは通常番組を中断して、この演説を全編生中継で全世界に伝えた。

スー・チー顧問は演説の中で「和解と平和」という言葉を繰り返し、ミャンマーが現在直面するロヒンギャ問題に対し「現地で起きているいかなる人権侵害と不法な暴力」を非難し、平和的解決を目指すとの基本姿勢を強調した。

ミャンマーは「宗教、民族、政治的立場や思想による分裂を誰も望んでおらず、全ての国民が共に民主主義を分かち合う準備を進めていきたい」として長年の軍政から勝ち取った民主主義をさらに前進させる覚悟を改めて表明した。

さらに治安部隊の人権侵害を逃れるため隣国のバングラデシュに避難しているロヒンギャ族がすでに40万人以上に達し、過酷な環境での生活を強いられている現状にも触れ、「難民の検証プロセスをいつからでも始める用意がある」との姿勢を示した。

バングラデシュの難民キャンプを目指すロヒンギャの家族〔PHOTO〕gettyimages

今、ミャンマーで起きていること

いまや国際社会がこぞって指弾するロヒンギャ問題は、ミャンマーにとって古くて新しい宗教、民族対立、忘れられた難民問題である。

ロヒンギャの人々約130万人の主要な居住地域は、ミャンマー西部、ラカイン州とバングラデシュ国境を挟んだ両側で、彼らは仏教徒が多数を占めるミャンマーでは少数派のイスラム教徒である。第2次世界大戦終結後、度重なる民族、宗教、イデオロギーの対立で国境を右へ左へと移動せざるを得ない状況に追い込まれ、“さまよえる民族”として時代に翻弄され続けてきた。

1982年にミャンマーが制定した市民権法ではその対象にならず、ロヒンギャの人々は「無国籍」となり悲劇は新たな段階に入った。ミャンマー国内に居住するロヒンギャの人々は法律上ミャンマー国籍がないため雇用、教育、保健厚生、政治参加など政治経済社会のあらゆる面で差別に直面することになる。

こうした異常な境遇の改善をロヒンギャの人々は、軍政に対して果敢に民主化運動を進めるかつてのスー・チー女史に大きな期待を抱き、その民主化運動を積極的に支援した。これが当時の軍政の逆鱗に触れ、弾圧を受けた結果、約30万人が難民としてバングラデシュに逃れたこともある。

だが、バングラデシュ政府は彼らを難民とは認定せず強制送還を進めた。つまりロヒンギャの人々はミャンマー、バングラデシュ両国にとって同じように不法移民であり、両国から排除され無国籍のまま行き場を失い、海路や陸路での逃避・脱出が本格化して多くが難民化した。

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