2016年10月9日、バングラデシュとの国境に近い地域でミャンマーの警察施設などが武装勢力に襲撃され警察官が死傷する事件が発生した。国軍はこれをロヒンギャ族武装グループによるものと断定して、ロヒンギャの集落を攻撃。男性は虐殺され、女性はレイプされ、村落は焼き払われた。この時はバングラデシュに約2万人が難民として逃れた。
この事件を受け、「ロヒンギャ問題」の真相を解明するため、国連はコフィ・アナン元国連事務総長を特使としてミャンマーに派遣した。しかし現地では様々な妨害にあい、十分な調査はできなかった。

こうしたことを契機に、南アフリカのツツ司教やパキスタン人のマララ・ユスフさんなどノーベル平和賞受賞者11人を中心に、スー・チー女史への批判が高まっていた。
そして、まさにこの時と同じようなことが2017年8月25日に起きた。ラカイン州でロヒンギャ武装勢力とされる集団が警察署などを襲撃、治安部隊との間で衝突する事態となったのだ。
これに乗じて国軍は一気に攻勢を強め、「大虐殺」「民族浄化」とまで指弾される事態が今、ミャンマーで起きている。
「戦う孔雀」はどこへ?
昨年以来の国際社会、ノーベル平和賞受賞者らによる批判、非難、指弾にもスー・チー顧問は公には沈黙を貫いてきた。
ところが今回は、単に沈黙を守るだけではなく、国際的人権団体「アムネスティ」や欧米系メディアによる「民族浄化」「大規模な軍による人権侵害」の報告、報道に対し「誤った情報に基づいている」「現実に起きていることは民族浄化というものではない」などと、否定や反論を口にし始めたのだ。
「ファイティング・ピーコック(戦う孔雀)」として軍政に果敢に挑みミャンマー民主化運動の旗手として常に、一般の国民、少数民族、虐げられた人々、弱き人々の希望であったスー・チー顧問。だからこそ国際社会はその生きざまを高く評価してノーベル平和賞を与えたはずだった。

2016年3月30日の民主化実現によるテイン・チョー大統領就任に伴う実質的なスー・チー政権の誕生で一気に高まった「スー・チー顧問と新政府への期待」は、現在のところ、時間の経過とともに次第にしぼんでしまう結果となっている。
それは、スー・チー顧問にとって、政権を支える屋台骨とも言うべき「国軍」「仏教徒」という2大勢力の意向を無視することができない現実があるからだ。
国軍と仏教徒との関係が政権の命運に直結することを熟知しているがゆえに、反少数民族で存在感を示す軍と、反イスラムで結束する仏教徒集団に対して当初から「遠慮」「忖度」が先行していたが、最近では「スー・チー顧問はもはや軍をコントロールできなくなっている」との見方が支配的となっている。