北朝鮮の脅威が、あらぬ方向で議論されている。ある閣僚が講演で、「難民射殺発言」をしたのには驚いた。北朝鮮有事が発生した場合、日本に逃げてくる難民の中に「武装難民」がいたらどうするのか、と指摘した上で、「射殺」という物騒な言葉を使ったのだ。
しかし、その言葉の強さとは裏腹に、この発言は日本の平和ボケと防諜意識の欠如を露呈している。もっと身近な脅威があることに、政府はあえて目を瞑っているのだ。
「北の工作員はすでに日本にいるのは間違いない。我々が全容をつかめていないだけだ。いま我々がやらなきゃいけないのは、最大限の人員を投入して市民を装って潜伏している工作員を洗い出すことだ」(警視庁公安部捜査員)
「日本は簡単に入国できる天国です。『タバコを買いに行ってくる』と言って出かける工作員もいるほどだった」(元北朝鮮工作員)
すでに日本国内に浸透した北朝鮮工作員は、多数存在していると考えられる。
昨今「核ミサイル」「武装難民」などという単語ばかりが強調され、日本国民の恐怖心が煽られているが、工作員たちが闇夜に乗じて日本を出入りしているという不都合な真実からは、相変わらず目が背けられたままだ。
本稿では、私が実際に出会って取材した、元北朝鮮工作員たちの証言を伝えることで、彼らの実像に少しでも迫っていきたいと思う。
ケース1:金東植の場合
激しい銃撃戦だった。逃げ場がない。雑木林に潜んでいるときに、銃撃を浴びた。金東植(キム・ドンシク)は逃げようと思い、その場から駆け出した。だが、地を蹴るはずの左足の感覚がない。そのまま転倒し、気を失った――。
意識を取り戻したときには、韓国軍の兵士に取り囲まれて引き起こされていた。左足が熱い。何か熱湯のようなものがふくらはぎを流れている。血だ。
左足で体を支えようとすると、膝から下がなくなってしまったかのようにバランスを崩した。痛みはまるで感じなかった。
一緒に逃げた仲間・朴の姿はない。朴が銃撃戦の末、死亡したと聞かされたのはしばらくたってからだった。
1995年10月のことだ。金東植は、忠南扶餘郡石城面にある正覚寺で仲間と「接線」(=ジョブソン。接触すること)しようとしていた。だが、そこに韓国国家安全企画部の要員が待ち伏せしており、銃撃戦となったのだ。
この事件から20年後、私が待ち合わせのソウル市内のオフィス街に行くと、金東植は、遠くからこちらを見つめていた。初対面の日本人を遠くから品定めして、いざとなれば雑踏に身を隠そうとしているかのようだった。
身長は172~173cm、スーツに、黒縁メガネ。年齢は私と同じ40代後半。恰幅の良いエリートサラリーマンといった風貌だが、印象に残らない顔でもある。
この男が元北朝鮮工作員だと気づくものはないだろう。20年前、軍や警察2万人に追われ、銃撃戦の末に逮捕された男には見えなかった。
金東植に会った目的は、「伝説の女工作員」の話を聞くためだった。
女工作員の名前は李善実(イ・ソンシル)。北朝鮮の権力序列でトップ20に入るという、最高位かつ辣腕の工作員だ。1990年に、ソウルで李と同居しながら彼女を補佐し、最終的に北朝鮮に連れ帰ったのが金東植だった。