何としてでも治したい
2016年9月のある日、20日から治療のための入院が決まっており、主治医と面談した時のことです。山中先生のすすめで、世界でも前例のない治療に挑むことになりました。
その時の主治医の話では、平尾のことになると山中先生はいつも平常心ではいられなくなるということでした。先生のお気持ちは十分知っておりましたが、主治医から伺ったことで、何としてでも何があっても平尾を治したいという先生の想いを改めて感じ、
「ありがたいことやな。山中先生。ほんまにありがたいで。世界初の治療やったら成功させんとな」
と、平尾は自分に言い聴かせるように言いました。
最後の一週間、薄れゆく意識の中でも治療の成果を気に留めて、「どうなってる?」と言うので「CTを撮ってからですね。ドキドキしちゃうね」と言うと、「結果待ちか〜」という私との会話が何度かありました。
肝内胆管がん。
肝臓、脾臓、リンパ節に転移有り。
時限爆弾の様にいつ破裂するかわからない静脈瘤。
そんな体で一度たりとも恨み言も八つ当たりも無く、弱音も吐かずに闘ってこられた13ヵ月の日々は、陰で回復を祈り続けて下さった親友達の思いが平尾を支え、一番近くでずっと共に闘って下さった山中先生と私たちが祈りと希望を持ち続けた日々でもありました。
先生の中にも平尾は生き続けている
『友情│平尾誠二と山中伸弥「最後の一年」』は、その日々を山中先生と私が語ったものです。
第一章は、平尾との出会いから別れまでを山中先生に語っていただきました。僅か6年間ではありましたが、二人はかけがえのない友としての時間を過ごしたのです。
第二章は、平尾誠二の闘病生活と家族の想いを私が語りました。平尾誠二の13ヵ月に及ぶ闘病生活を記録に留めたいとの想いから、つらい記憶も語っています。治療について迷いや戸惑いもある中、山中先生の無償の友情は私たちにとって大きな支えとなったのです。
第三章は、山中先生と平尾の出会いのきっかけとなった週刊現代の対談を未公開部分も含めて掲載し、5つのテーマごとに、山中先生に平尾との思い出を新たに語っていただきました。この対談から二人の人となりを知っていただければ、と思います。
最近、NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』で山中先生の特集があり、先生の研究室が写されているのを拝見しました。
先生の机の隣には、神戸製鋼の赤いジャージと、先生と平尾が一緒に写った満面の笑みの写真。私たち家族の中にいつも平尾がいるように、山中先生の中にも平尾は生き続けているのだと思うと、不意に、治験に入っていた寒い日の事を思い出しました。

「惠子さん、いつも有難うございます」
「惠子さんに何かあったら平尾さんが頼る人がいなくなってしまうので、惠子さんがいつも元気でいて下さい」
平尾だけでなく、常に私も支えていただいていたことに、改めて気が付いたのです。
平尾の闘病中、山中先生に「すみません」という言葉を繰り返した私ですが、次にお会いした時には、先生にきちんとしたお礼を申し上げたいと思うのです。
同書刊行を記念して、神戸と京都で「平尾誠二×山中伸弥写真展」が開催されます。詳細はこちらからご確認ください http://news.kodansha.co.jp/525