オィーッス!元気がないな、もう一丁!「いかりや長介」を語ろう

怖くて優しかった「長さん」の素顔
週刊現代 プロフィール

「二人で何かやろうぜ」

西条 『全員集合』が終わる前の最後の1年は、長さんは番組の内容を決める木曜のコント会議に出席されなくなったとか。

すわ 『全員集合』に終止符を打ち、『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』を始めるという路線が作られ、「これからのいかりやさんは役者で」ということになりました。

西条 ご本人は思うところがあるはずですが、「男はそういうことを聞くもんじゃない」と、事情を詮索することを一切しなかったそうです。

すわ そのときの思いについても、僕は本人からは一言も聞いていません。

碇矢 カッコつけたがり屋なので、周りに対してクールさを装い、「そうかい」って感じでしたけれど、やっぱり腹の内は違います。『全員集合』の終了がもう一度親父を奮い立たせたベースにあったことは間違いありません。「このままでは終われない」という思いが、役者の道を歩ませたのでしょう。

ただ、親父の俳優デビュー作となったNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』での演技は、勢いだけで声を張り上げて演じているようにしか、僕の目には映りませんでした。

西条 それは本人も自覚していたようです。「さんざんな出来が続いた」と、自伝に書かれていました。

碇矢 『全員集合』の頃は、番組を録画して家で観るということは一切しませんでした。でも、自分が出演したドラマは、録画して何度も見直すようになりました。

ドリフのリーダーとして、他のメンバーには負けたくないという気持ちもあり、「役者として誇れる自分でいたい」ということが、当時の口癖でした。

すわ 日生劇場でやった舞台『ありがとうサボテン先生』で、いかりやさんと二人で共演する場面がありました。お客さんにはすごくウケたのですが、舞台が終わると、いかりやさんに呼ばれて、「あそこをどうしようか?」というんです。

僕なんかは「ウケているんだからこれでいいじゃん」と思うんだけど、「もっとよくなるはずだ」と、さらに上を求めていました。

碇矢 自分は才能やセンスに恵まれた人間じゃない。親父には少なくともそういう気持ちがあったと思います。だからこそ、練り上げていくことで、補おうとしたのでしょう。

 

すわ コメディアンとしても、役者としても、努力を惜しまず、どんどん磨かれていきましたね。『踊る大捜査線』のラストで、いかりやさん演じる和久指導員が手を振るシーンには、本当に背筋がゾクッとしました。

西条 あの演技で、日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞しました。受賞のスピーチは長さんらしくとても控えめなものでしたが、本心はうれしかったのでしょうね。

碇矢 はい。あのときが、努力が報われた瞬間だったのではないでしょうか。

西条 その頃から、『ドリフ大爆笑』で、5人でのコントを再び披露するようになりましたね。

碇矢 ええ、自分の役者としてのステータスが定まってきたとき、心情的にも落ち着きを取り戻したように見えました。

それから数年後、親父は最初は食道がん、次に頸部リンパ節がんを患い、亡くなりました。

晩年はビールしか口にしなくなりましたが、若い頃は強い酒をガンガン飲んでいたんです。晩酌に手酌でウオッカを飲み、一晩で1本空けていました。医師には、それが原因かもしれないと言われました。

すわ いかりやさんは酒が強かったからね。仲本工事さんが渋谷で経営していた居酒屋に、焼酎にコーヒー豆を漬け込んだ「長ごろ」というすごく強いお酒がありました。それを飲むと、いかりやさんがふらつくので、「長介殺しの長ごろ」って、みんな言っていました。

西条 それほど強い酒を飲んだのは、きっと仕事で昂った神経を静めるためだったのでしょうね。

Photo by iStock

すわ 僕が最後にいかりやさんと会ったのは、亡くなる8ヵ月ほど前、'03年の7月でした。自宅に呼んでいただき、お酒をごちそうになりながら、6時間ほど話をしました。

そのとき、年末に予定されていた僕のライブに出てくれるという話になりました。「ギャラを払えないだろう。だから、当日、客席の俺に声をかけていきなり舞台に上げろ。それで二人で何かやろうぜ」って言ってくれたんです。

しかし、ライブ当日に、いかりやさんから「具合が悪くなったので行けなくなった」という連絡がありました。それが、いかりやさんの声を聞いた最後でした。

西条 青山葬儀所には、『全員集合』世代から『踊る大捜査線』で長さんを知った若い世代まで、ものすごい数のファンが集まりましたね。

碇矢 お通夜はとっくに終わっているのに、「8時だヨ~全員集合!」という叫び声が葬儀所の外から聞こえてきました。その声は1時間半近くも続いたそうです。

後でそのことを聞いたとき、親父の努力と苦労がすべて報われた気がしました。きっと親父も本望だったと思っています。

碇矢浩一(いかりや・こういち)
69年東京都生まれ。いかりや長介の長男。明治大卒。森永製菓を経て、ドリフターズ事務所代表取締役。著書に『いかりや長介という生き方
すわ親治(すわ・しんじ)
52年鹿児島県生まれ。コメディアン。'72年に運転手としてドリフターズ入り。いかりや長介の付き人を務める。俳優としても活動中
西条昇(さいじょう・のぼる)
64年東京都生まれ。お笑い評論家、江戸川大学マスコミ学科准教授。いかりや長介の自伝『だめだこりゃ』の構成を担当した

「週刊現代」2017年11月4日号より

関連記事