なぜ、そしていつ、クリスマスは恋人たちのものになったのか?
歴史を辿ると意外なことが見えてきた女性によるクリスマスのロマンチック革命
クリスマスまでまもなく1ヵ月だ。
イブに夜景のきれいなレストランでカップルで食事するなら、そろそろ予約しないといけない。
1ヵ月前に予約しないと、いいレストランのいい席はリザーブできない。
なんでこんなことになっているのだろうと、疑問に感じることがあっても、きちんとリザーブしないとあとでいろいろ面倒なことになるだけだから、ひたすら完遂するしかない。
“クリスマスイブはカップルのために”
そういう空気が、まだ、この国には厳然とある。
もちろん、日本中のすべてのカップルが「夜景の見えるすてきなレストラン」で過ごすわけではないが(そんなに夜景も用意されていない)、そして数でいえば「クリスマスイブを本当にロマンチックに過ごす人」は圧倒的少数なのだが、しかしそれでも「カップルなら可能なかぎりロマンチックに過ごしなさい」という意味不明の空気が、この国のどこかに厳然と存在している。昔ほど激しく主張はされていないにしても、いまでもその気配はしっかり残っている。
クリスマスイブが恋人たちの夜となって、今年で30年である。こんなことを30年やっているのかとおもうし、たかだかまだ30年でしかない、ともおもう。
そもそも、「クリスマスイブを恋人たちで過ごす日」にしたのは、1980年代の日本女子による、いきなりの、横紙破りである。それ以前の世界には、そんな前提はどこにもなく、クリスマスの夜をそんな使い方をする社会もどこにも存在しなかった。
とつぜん、神に憑かれたように80年代女性がざっくりと変えたのである。ほんとうに何かの神に憑かれていたのだろう。ある種の破壊であり、見ようによっては革命でもあった。女性によるクリスマスのロマンチック革命である。
その革命は、1970年代に静かに準備され、1980年代に突然挙行され、みごとに成功し、1990年代に定着していった。
アンノン族の登場
なんでそんなことが起こったのかはわからない。牽引していった女子たちにもうまく説明できないだろう。彼女たちは自分たちの居心地のいい空間を作ろうとして動いていただけで、それが日本全体を巻き込む不思議なムーブメントになるとは、予想してなかったからだ。
この動きの担い手たちは、だいたい昭和30年代生まれの女性である(西暦で言えば1955年から1964年ごろ)。
それより上の世代、戦後のベビーブーム世代(団塊の世代1946年から1949年生まれ)が、1960年代に“若者文化”を構築していった。学生運動やら、ロックミュージックやら、若者らしいファッションである。
そのあと1970年代に入り、女性向けの消費文化が目立つようになってきた。
「アンノン族の登場」であり「ディスカバー・ジャパン」である。
女性ファッション誌『an•an(アンアン)』が1970年創刊、『non-no(ノンノ)』が1971年創刊で、新しい女性ファッション誌として注目を浴びた。ファッションだけではなく、若い女性の新しいライフスタイル(つまり生活様式)を提唱して、広く支持されていた。

どうでもいいことながら、男子は手に取ることが少なく、しかし名前だけをよく聞くので、当時はよく「アンアンとノンノン」と呼んでしまって(つまり「ノンノ」に「ン」を足してしまって)「ちがう、ノンノ」と女子によく注意されたものだった。「ノンノンはムーミンの彼女、雑誌はノンノ」と言われたこともあった。
若い女性だけで草原のペンションや、小京都(もちろん京都も)を旅行するのが流行し、パンタロンの裾を引きずってお寺の畳の上を歩く若者が非難されたりしていた(なんか、その非難だけ、とてもよく覚えている)。
1970年代には、若い女性だけで旅する、というだけでとても新しい動きに見えたのだ。
それがアンノン族である。