上野千鶴子が問う、「銃後史ノート」に学ぶ女たちの戦争責任

女たちは、人口戦において戦士だった
新年早々「核のボタンはいつも机の上にある」と声明を発表した北朝鮮の金正恩総書記。米朝開戦はあるのか、ないのか――。社会学者であり、ジェンダー研究の第一人者である上野千鶴子さんは、こういう今だからこそ、我々が読み継がねばならない、あるミニコミ誌があるという。

戦争を支えた女たちも、「戦士」だった

「銃後史」ということばをご存じだろうか?「銃後」はホームフロントhome frontの訳語、対するのは前線battle frontだ。

20世紀の二次にわたる世界大戦は総力戦だった。前線に赴いた兵士ばかりが闘ったわけではない、銃後の妻たちが守る家庭もまたもうひとつの前線だった、という意味で作られた。

 

総力戦のもとでは、軍事戦の戦士のみならず、精神戦の戦士産業戦の戦士(労働者)食糧戦の戦士(農民)人口戦の戦士(つまり「産む機械」こと女のことだ)などなど、すべての国民が総動員される。だからこそ「国民精神総動員」が叫ばれた。総力戦における敗戦は、たんなる軍事力における敗北のみならず、精神や価値のすべてを巻き込んだ敗北だからこそ、ダメージが大きいのだ。

「銃後史」には、女は男が始めた戦争に翻弄された被害者であっただけではない、という意味がこめられている。たしかに日本の女は戦前には参政権もなく、徴兵の対象にもならなかったから、戦争責任はないかもしれない。だが、銃後で旗を振り、兵隊さんを送り出したのは誰だったか? 千人針を縫い、慰問袋を送り、出征兵士の留守家庭の妻の貞操を監視したのは誰だったか? 女も戦争の共犯者だったのではないだろうか?

1941年、包帯のやり方を学ぶ女性たち Photo by getty images

「銃後史ノート」は、そういう関心を持った戦後生まれの女たちによって、1977年から1996年までおよそ20年間にわたって計18号、刊行された雑誌である。刊行したのは「女たちの現在を問う会」。

刊行の辞にこうある。

「私たちは母や祖母たちから、かつての戦争で、犠牲を強いられた被害体験の話を聞かされてきました。(中略)母たちは確かに戦争の被害者であった。しかし同時に侵略戦争を支える“銃後”の女たちでもあった(中略)。そしてそれは単に過去の“銃後”の女たちを考えるだけでなく、すでにかつての母たちの年代に達した私たち自身の状況を明らかにするものでありたい、と考えています。」

時代はちょうど戦後ベビーブーム生まれの若者たちが、親世代の戦争責任を問うて学生運動のなかで世代間対決をしたときだった。

しかもベトナム戦争への後方支援を通じて、日本の加害者性もまた問われていた。学生運動のピークが終了したあと、結婚と出産になだれこんでいったベビーブーム世代にとっては、戦後日本の経済侵略のもとで、男は産業戦の戦士、女は人口戦の戦士を割り当てられている自覚があったかもしれない。

ビジネスと共にアジア地域へのセックスツアーを行う夫たちと、その夫の出張カバンにコンドームをしのばせる妻とは、性侵略の共犯者であったとも言えるだろう。

刊行の辞には「“銃後”の女たちになるかもしれない私たち、すでに形をかえてなっているかもしれない私たちを、かつての“銃後の女たち”をみることによって対象化するために」とある。

『銃後史ノート』は、日中戦争前夜から経年順にテーマを設定して、特集を編んでいる。「昭和恐慌下の女たち」(2号)、「女たちの満洲事変」(3号)、「日中開戦・総動員体制下の女たち」(5号)、「『紀元二六〇〇年』の女たち」(6号)、「女たちの一二月八日」(7号)、「女たちの八・一五」(9号)……と続く。

創刊号から3号までは全くの手作りで部数は200~300部、ほとんど口コミと手渡しで販路を確保した。途中からJCA出版、ついでインパクト出版会という商業出版社が入ったが、数千部にとどまった。今日では女性史関連のミニコミを収蔵している独立行政法人国立女性教育会館など、一部の図書館が保管しているほかは、現物を見ることがきわめてむずかしい状況にある。

わたしが理事長をしている認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)のサイトhttp://wan.or.jp/には、ミニコミ図書館がある。高齢化しつつある戦後女性運動の担い手たちによるミニコミを、電子化して収蔵し、世界のどこからでもオープンアクセスができるようにしたものだ。

そこには、70年代ウーマンリブの資料を集めた『資料日本ウーマンリブ史』全3巻が、編者と版元のウィメンズブックストア松香堂の厚意で、無償提供されている。そのなかには、日本のウーマンリブの産ぶ声ともいうべき記念碑的なビラ、田中美津さんが書いた「便所からの解放」も収録されている。

関連記事