大事なのは「もっともらしさ」
こうなってくると、真実は事実によって示されるというよりも、機知によってこそ示されると考えたくなってくる。欠けたピースを埋め全体状況を掴もうとする直感力の方が重要に思えてくる。
この点で、コメディもゴシップも同列・同レベルの存在となる。機知を引き出すようなパラドキシカルな笑いを生み出すからだ。
どうやらそうした比喩や連想から得られる機知が、マスメディアに代わり、ソーシャルメディアが、個々人にとっての第一メディアになった時の真実性のようなのだ。
その意味では、ソーシャルメディア時代に入って以後のテレビ報道は、中途半端な状態にある。かつては新聞ジャーナリズムに対して速報性やライブ性を通じて、紙媒体のルールを壊乱する側に回っていたのが、ソーシャルメディアの登場によって、むしろ印刷媒体に準じた真実性に拘泥するようになってきた。特に地上波の四大ネットワークにおいて顕著だ。
そんなテレビにおいて、引き続き新聞ジャーナリズムのコードを壊乱させているのが、スティーブン・コルベアのようなコメディアンがホストを務めるコメディショーである。
真贋がはっきりしないコメントや私見が飛び交う中で、いかにして人は「信頼」や「確信」を得るのか、という問いへの対処であり、そこではむしろ、複数の私見という真実をうまく畳み込むための視点が、つまりは「もっともらしい(=plausibleな)視点」が求められる。plausibleとは、applause(賞賛する)と同根のことばであり、拍手喝采されること、すなわち、なるほどな、と思わせる説明が大事だということ。「上手い!」と聞き手や読み手に思わせることが優先される。
なにしろ基本的には、それぞれに「私の真実」しかないからだ。
科学や裁判とは違う意味での、真実や真理の扱い方が必要であり、そこでは「語り口」や比喩による「連想」も捨て置けない。
つまりは論理ではなく修辞のノウハウによる真理/真実への接近、ということなのだろう。コメディショーがニュースショーに代わって、トランプ報道の中心になっていたことも、この表れといえる。ウォルフは期せずして、同じような場所に立っている。
真贋論争に現れた味方
ウォルフ本の内容の真贋について一つ面白いのは、Axios(アクシオス)という、2017年に誕生したウェブ上のニュースサービスが、ウォルフがソースを明らかにしていないことには不満を示しながらも、しかし似たようなホワイトハウススタッフの発言は自分たちも聞いたことがある(https://www.axios.com/the-wolff-lines-on-trump-that-ring-unambiguously-true-1515262293-78cf5551-daf2-4c2e-a3de-83da6971f578.html)と記すことで、暗にウォルフ本の内容の支持を表明していることだ。
Axiosは、2008年の大統領選以来プレゼンスを高めたニュースサイトPoliticoの創業メンバーだったジム・バンデハイが、昨年(2017年)1月に新たにスタートさせた。“Short and Sweet”をモットーにした、簡潔な情報提供を旨としている。
狙いは、多くの報道メディア記事が、実のところ、他の報道記者に対して向けられた専門的で、その限りで閉鎖的な内容であることを反省して、読者が求めている内容を提供することに努めている。そのため、エグゼクティブ向けの朝のブリーフメモのような簡潔な箇条書きスタイルを取っている。
“Short and Sweet”とは、要するに「簡にして要を得る」ということであり、ここでいう“Sweet”には、機知に富んだ表現に対する感嘆の意味も込められている。つまり、ロジックだけでなくレトリックとしても優れているということ。個々の表現の機知にも配慮している。
こうした試みは、フェイクニュースの浸透に対する、取材側の対策の一つであり、簡潔さ=情報としての純度の高さ、を売りにすることで、ソーシャルメディア時代の読者の一瞥をつかもうとする。
Axiosは、トランプ政権の誕生以来、その様子を報道し続けてきた。その取材経験からウォルフ本にも首肯できる記述があることを認めている。もちろんAxiosも情報源は明らかにしてはいない。けれども、こうして取材者どうしがその内容を承認しあうことで、報道された内容の信憑性は高められていく。
Axiosが、日々のブリーフィングに特化した情報の提供を第一にしているとすれば、その日々の(膨大な)情報を束ねて読み解くための「流れ=ストーリー」をウォルフは提供しているともいえ、いわば相補的な関係にある。
ここでもウォルフ本は、ソーシャルメディア以後の、ポスト・トゥルース時代を反映した報道出版物の一形態とみることができる。