彼らの中に、女子の先輩から性被害にあった少年がいた。中学に入って少し非行に入り始めたころ、やんちゃな女子の先輩二人に部屋に誘われ、飲酒して、襲われたという。
「誰かに話したら、私たちが襲われたっていうからね。みんなどっちを信じると思う?」と口止めされたと言う。
彼はもちろん先輩たちの言うことをみんな信じると思ったし、第一女子に「やられちゃった」とは言えるはずもなく、彼ができたのは、「立派な」非行少年になり、他の少年と一緒になって、家出していた年下の女子を家に連れてきて性加害をすることだった。
男性も、特に子ども・少年時代には、年長の女性・男性から性被害を受けていることはそれほど珍しいことではない。
自分のようでいて、自分ではないような感じ
(特定の)女性への明確な悪意を自覚して性暴力を行う場合もある。
その場合は、単なる殴る、蹴るより、性的な暴力を振るう方が、相手へのダメージが大きいことを知っている。「そんなにたいしたことではない」と、性行為を貶めていることもある。
「彼女」に「裏切られた」と感じていて、不特定多数との性的関係を持ち、いつの間にか性関係が親密な関係と切り離され「たいしたことない」消耗品となっている場合が多い。

強姦や強制わいせつなどという「暴力」は振るえないが、盗撮や痴漢は何度逮捕されてもやめられないという人たちもいる。
とても勤勉で、妻子もいて、まじめな人が多い。日頃は、「べき」で生きていて、日陰ものとなっている「したい」が時々反乱を起こすのだが、この「したい」自分の存在は、意識の中から排除されているので、コントロールが効かない。
自分のようでいて、自分ではないような感じで、犯行時は、スイッチが切り替わるように、「のっとられてしまう」という感じを口にする。
つまり、一口に性暴力と言っても、様々な動機があるわけだが、共通の根として、前述の「男が立たない」があるように思う。