緊急手術をすることになった70代の父。駆けつけた「ぼく」に、母の口から明かされたのは、思いもよらない父の過去と、腹違いの兄の存在だったーー。
現役証券マンにして作家の町田哲也氏が、実体験をもとにつづるノンフィクション・ノベル『家族をさがす旅』。
(第一回はこちら http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54213)
若い頃の父を知る2人のおばに会いに行った「ぼく」は、次第に明らかになる父の実像と、自分が知る父の姿とのギャップに戸惑っていた。
〈登場人物〉
ぼく……大手町に本社をおく大手証券会社に勤める証券マン。40代で、妻子あり。会社勤務の傍ら小説を執筆し、単行本も刊行している。
父……名前は町田道良。78歳。2017年8月、緊急入院し手術を受ける。家族に暴力を振るう一面があり、10年前に妻(=「ぼく」の母)と離婚。3年前に生活に行き詰まると、再び妻のもとに身を寄せていた。若い頃、岩波映画に勤務していたことを誇りにしている。
母……名前は頼子。おとなしい性格だが、10年前、「ぼく」の結婚を機に夫・道良に離婚を切り出した。倒れた父の面倒を見ている。
聡子・千賀子……道良の姉と妹(=「ぼく」のおば)。
栄子さん……道良がかつて結婚していた女性。
健太郎さん……道良と栄子さんの間に生まれた一人息子。「ぼく」からみて異母兄にあたるが、その存在は道良の入院まで伏せられていた。
「前の奥さん」の横顔
父が入院してから、聡子と千賀子が2人で見舞いに来てくれたことがあった。
ぼくも確認したいことがあったので、会社を中抜けすると、2人が病院に着く時間に合わせて13時に見舞いに行った。できれば1日休みを取りたかったが、どうしても夕方の会議に出席する必要があり、休むわけにはいかなかった。
2人に父の状況を簡単に伝えると、父の昔の話になった。どうしても話題が、前の家族に向かってしまう。
「何も教えてくれなかったんだね」
病院のカフェテリアでぼくが前の家族のことを訊きはじめると、千賀子が不思議そうな顔をした。
「本当にそうなんです」
「触れてほしくなかったんだと思うわよ。若い頃はいろいろあったから」
父の戸籍はすでに確認してあった。O市の市役所には、平成になって以降の記録しかない。その前に住んでいたK市にも記録はなく、父が幼少期から過ごしていた千葉県N市に申請するしかなかった。
父の記録を調べることに、後ろめたさはなかった。学校の在籍記録や戸籍謄本、厚生年金の勤務記録など、父の人生を知ることのできる資料は限られていた。つながりのある親戚や友人も少ない。どうにかして若い日の父の素顔を探り出したかった。
古い戸籍謄本には、父の前の家族の記録が残っていた。栄子さんとの結婚は昭和40年(1965年)10月で、健太郎さんの出産が昭和41年2月。妊娠6ヵ月での入籍だ。当時父は26歳、栄子さんは24歳だった。
結婚式は挙げなかったという。すでに祖父は死んでおり、誰に相談することもなく、父が一人で決めたのだろう。3年半後の昭和44年(1969年)9月には離婚している。
栄子さんの実家は栃木県だった。すらっと背の高い、きれいな方だったという。理容学校を出て、理容師をしていた。
「とにかく、よくおばあちゃんとケンカしてたよ」
「そうそう、何でもやり方が違ってね」
聡子が例に挙げたのは、ご飯を温める手順だった。当時は鍋に布きんを敷いて、そのうえにご飯を置いて温めるのが普通だが、ご飯の入った茶碗をそのまま鍋に入れようとしたという。田舎出身のせいか、何ごともやり方が違ったのを憶えている。

「地元でかんぴょうがとれるらしくてね、持ってきてくれたことがあるんだけど、たくさんもらってもどう料理すればいいのかわからないじゃない」
「昼間は働いてるから、子どもの面倒も見れなくてね、おばあちゃんの育て方のことでいい合ってたわよ」
2人の思い出話からは、うまく町田家に溶け込めない栄子さんの姿が見えるようだった。