海部さんに解説してもらおう。
「古い人類がいるはずがないと思われていたところからの発見です。フローレス島は、現生人類ホモ・サピエンスがアフリカから拡散してオーストラリアにまで入る途中にあります。そこに、あんな原始的な人類が生き残っていました。僕自身、ウォレス線を越えるのは、ホモ・サピエンスになってからだと思い込んでいました。」
「さすがにあの海は渡れないだろうと。石器が出るというのは前から聞いていたんだけど、あまり本気にしていなかった」
「ウォレス線」というのは生物地理学の用語で、チャールズ・ダーウィンと同時期に進化論を提唱したアルフレッド・ウォレスが見出した生物の分布境界線のことだ(図1)。
インドネシアのロンボク海峡(バリ島~ロンボク島間)から、マカッサル海峡(ボルネオ島~スラウェシ島間)を通る境界線よりも西側では、生物相がアジアに近く(東洋区)、東側では、オーストラリアに近い(オーストラリア区)というふうに区分けする。
氷期で水位が下がった際に、ウォレス線の西側はアジア大陸と陸続きのスンダランドとなり、東側ではオーストラリアとニューギニアは一体化してサフルランドを形成した。
そのときの生物相が、現在まで反映されているというのが標準的な説明だ(厳密には東インドネシアの島々は、オーストラリア・ニューギニアとも生物相が違い、両地域の境界をライデッカー線と呼ぶが、ここではウォレス線にのみ注目する)
原人がアジアにやってきたのは、いくら古く見つもっても百数十万年前だ。それ以降、バリ島やボルネオ島までが地続きになったことはあっても、ロンボク海峡・マカッサル海峡よりも東は、なんらかの形で海を渡らなければ到達できない世界だった。そして、それを人類で初めて成し遂げたのは、ホモ・サピエンスだったというのが定説だったのである。
「人類の定義」に反する人類
では、海部さんが「予想外の人類」と言った意味は?
「あまりにも小さいんです。身長が1メートルほどしかなく、劇的な矮小化(わいしょうか)をとげている。脳容量も400ミリリットルを超えるくらいで、チンパンジーとそれほど変わらない。地理的に一番近いジャワ原人が矮小化したものだとすると、半分以下です。人類の進化というのは、原人以降は体も脳も大型化していくのに、まったく逆の方向へいってるんですね。」
「とくに脳が小さいのは問題で、そもそもホモ属の定義には、脳がある程度大きいということも入っているので、定義変更しなきゃいけないことになる。それぐらい大ごとなんです」
フローレス原人は、体が小さく、脳も小さい。最初の論文の時点では、脳の容積がわずか380ミリリットルとされており、これだとチンパンジーの大型の個体より小さくなる。のちに北海道大学の久保大輔さんと海部さんとの共同研究で上方修正されて、426ミリリットルという測定値が出されたのだが、それでも小さい。
人類進化について「掟破り」の存在で、ホモ属(ヒト属)の「定義」にすら反するものの、他の特徴からは、やはりホモ属とするしかない……。なんとも、想像を絶した存在だったのだ。
いったい、どうしてこんなことになったのか。
発見された場所が予想外だったことはともかく、そこで矮小化したことについては、一応の生物学的な説明は可能である。
「閉ざされた島の環境では、大型動物が矮小化し、小型動物が大型化するといった、いわゆる島嶼(とうしょ)効果が働きます。フローレス島では、ゾウの仲間のステゴドンが肩の高さ1.5メートルくらいに小型化したり、ハゲコウという地上性の鳥が体長1.8メートルにまで大きくなったりしました。だからフローレス原人の祖先も、島嶼効果で小さくなったのだろうということは言えます。」
「でも、それでも信じられないほどの小ささなんです。脳がこんなに小さくなって、はたして人類としてやっていけるのか。しかし実際に、石器を作っていたことは間違いない。」
「ヒトもほかの動物と同じように、こんなに体のサイズが変わるのかっていうのが、やはり衝撃的なんですよ」
「島嶼効果」というキーワードが出てきた。それをざっくり説明すると──
- 利用可能なリソース(生息環境や食料資源など)が限られた島嶼環境では、大型動物は、代謝量が小さく性成熟も早い小型の身体を持ったほうが有利なため、矮小化しやすい。
- 一方で小型動物は、島には捕食者が少ないために、隠れやすいように身体を小さく保つ必要がなくなり、大型化しやすい。
などと説明される。日本では、屋久島のヤマシマザルやヤクシカが、本土のニホンザルやニホンジカよりはるかに小さいのがよく知られている。
そして、フローレス原人は、島にいたほかの動物と同様に、まさに「動物」として、島嶼効果によって矮小化してしまった、というのが素直な解釈ということになる。
ヒトも動物だったと言ってしまえばそれまでだ。しかし、ほかの動物とは一線を画した進化を遂げはじめたのがヒト(ホモ属)であるとされてきたことを考えると、その小さな体、とりわけ小さな脳は、ヒトの定義すら揺るがし、混乱をもたらすものだった。(次回に続く)

人類進化学者 国立科学博物館人類史研究グループ長
1969年東京都生まれ。東京大学理学部卒業、東京大学大学院理学系研究科博士課程中退。理学博士。1995年より国立科学博物館に勤務し、現在は人類史研究グループ長。「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」代表。第9回(平成24年度)日本学術振興会賞。化石などを通して約200万年にわたるアジアの人類史を研究し、ジャワ原人、フローレス原人などの研究で業績をあげてきた。アジアへのホモ・サピエンスの拡散についての、欧米の定説に疑問を抱き、これまでグローバルに結び付けて考えられてこなかった日本の豊富な遺跡資料を再検討。著書『日本人はどこから来たのか?』(文藝春秋)。