戦前は「三世代家族」が普通?
核家族の否定的なイメージが説得力を持っているのは、これとは反対の「昔」の家族のイメージがあるからだろう。
「昔」はほとんどが三世代家族であり、だからこそ子どもはうまく育ったかのように考えられている。
三世代家族では、祖父母から若い親に育児の慣習や経験が伝えられた、子どもは親からだけでなく、祖父母からもしつけを受けた、等々とよく言われる。
「昔」の家族は、かつては「直系家族」とか「拡大家族」と言われた。それを「三世代家族」や「二世帯居同居家族」などと呼ぶこと自体がイメージのすり替えなのだが……。
ともあれ、そうした「昔」の家族がいつ崩壊し、いつから核家族化が進行したと考えられているのか。
以下は、1996(平成8)年版の『厚生白書』の引用である。かなり前のものだが、こうした理解がいまでも最も一般的な理解だろう。
(第1編第1章第1説1 家族の変容と社会)
このように、戦前は農村社会であり、農村社会では「多世代同居」が「普通」だったと考えられている。果たしてそうだろうか。
図表1は国勢調査のデータである。
これによると、1920(大正9)年に行なわれた第1回国勢調査でも、核家族世帯の方が「その他の親族世帯」(多くは三世代家族)よりも多く、55.3%を占める(後述の図表2では59.1%)。

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このように、1920年の時点でも核家族世帯が多数を占めていたが、それは考えてみれば当然のことだろう。
一つには、きょうだい数が多かったからである(1920年の合計特殊出生率は5.24)。そして、もう一つは、平均寿命が短く、死亡率が高かったからだ。
人口学者の岡崎陽一は1935、36(昭和10、11)年の生命表をもとに、「家族形成」の標準的モデルを作成している。
それによれば、祖父は63歳、祖母は66歳で死亡。祖父の死亡時、最初の孫は1歳、祖母の死亡時は4歳である。子どもの多くは祖父母の記憶すらないことになる。
そのため、岡崎は、「平均寿命を50年から80年に延ばした死亡率の低下は、親と子の二世代だけではなく、祖父母と孫を含む三世代のつながりを一段と長く、意義深いものにする可能性を与えた」と指摘している(岡崎陽一『家族のゆくえ』東京大学出版会、1990年)。
つまり、戦前は、第一次産業が多数を占める農村社会だから、子どもは祖父母のいる三世代家族の中で育つのが普通だったかのように考えるのは幻想にすぎない。
現代社会こそ、祖父母が元気で長生きをし、孫と交流することが可能な時代なのである。