疑いのあるところ、常に自由がある
ここまで読んで、反感を抱いた方も多いかもしれない。科学や理性がそんなに偉いのか? 直感や感情にしたがってうまくいくことも多いではないか、と。
その通りだ。科学や理性に限界はあるし、直感や感情が真実をついていることもある。そこで最後に、私自身が教訓としている例を一つ挙げたい。急に身近な話題になるが、「コラーゲン」のことである。

コラーゲンは肌に張りや弾力を与える働きをしている。だから、それを食品やサプリとして摂取すると、美肌効果があるはずだ。きわめて直感的で、わかりやすい理屈である。実際、コラーゲン鍋を食べた翌日は肌がぷるぷるだという女性たちの声は多い。
だが、コラーゲンはタンパク質の一種だ。いくら摂取しても、胃や腸で分解され、アミノ酸として吸収される。それらが体の各部位でタンパク質として再構成される際も、コラーゲンになるわけではない。摂取は無意味、つまり、ニセ科学である。専門家を含む多くの人が長年そう指摘してきた。私もその一人だ。
ところが近年、話はそう単純ではないらしいということがわかってきた。コラーゲンに特有のアミノ酸を含む化合物を摂取すると、体が「コラーゲンが壊れている」と勘違いし、その生成を促す。そんなメカニズムが働いている可能性を示唆する研究結果が報告されているのだ。
断っておくが、コラーゲンが美肌に効くという強いエビデンスは今も得られていない。商品の宣伝文句に使うべきではないだろう。ただ、コラーゲンを摂っても胃の中で分解されるから無意味だという説明は、やや乱暴に過ぎたということだ。
科学は間違う。だが、科学はすすんで自らの間違いを探し出し、修正しながら進歩する。そこが科学のもっとも優れた性質だ。逆に言えば、歩みを止めた時点で、科学的言説もまた一つの“物語”に堕してしまう。それが、私がコラーゲンから得た教訓だ。
科学はその限界を自ら認めている。そこにニセ科学がつけ入る余地があり、科学とニセ科学の間の線引き論争は尽きることがない。しかし、初めから人々を騙す目的で創り出されたニセ科学の大半は、その境界線の近傍にあるわけではない。もっぱらできの悪いまがい物だ。
だから、ちょっとした知識さえ身につけておけば、それらの正体を見抜くのは難しいことではない。とはいえ、論文捏造などの研究不正が次々と明るみに出ている昨今、科学リテラシーを養えなどというお説教には耳を貸してもらえない気もする。
結局のところ、まずはすべてを疑うことから始めるしかないのかもしれない。「疑いのあるところ、常に自由がある」というラテン語の格言がある。至言だと思う。あらゆることに疑いを抱けるというのは、頭と心が妙な“物語”に縛られていない証拠だ。
そんなことをしている余裕はないという方々は、まず、やさしい声で語られる美しい“科学物語”から疑ってみてほしい。