安倍首相はいつ知ったのか
さらにフジテレビは、2日前の13日に大臣室で行われた打ち合わせの内容を記録した手書きのメモも入手。そこには、陸上幕僚監部の湯浅吾郎副長から陸上自衛隊に日報が存在している事実を聞かされた稲田大臣の「明日(国会で)なんて答えよう」という発言が記録されている。
結局、陸上自衛隊に日報が保管されている事実は非公表とする方針が決められる。その結果、稲田大臣は16日以降も、陸上自衛隊では日報は規則に基づいて廃棄されたという答弁を続ける。
こうした「物証」が出てきたにもかかわらず、稲田氏は「(陸上自衛隊に日報が保管されていることについて)報告を受けたことも、非公表を了承したこともない」と完全否定した。
特別防衛監察でも、「(2月13日と15日の会議で陸上自衛隊の日報保管について)何らかの発言があった可能性は否定できない」としながら、「防衛大臣によって公表に関する何らかの是非の方針や非公表の了承が決定されたという事実はなかった」と結論付けた。
そして、陸上自衛隊の日報保管の事実を隠蔽する方針を最終的に決めたのは、黒江事務次官と認定された。
特別防衛監察では玉虫色の結論になってしまったが、稲田大臣が陸上自衛隊に日報が存在していることを知ったのは2月13日である可能性が高い。それでは、自衛隊の最高指揮官である安倍首相はこの事実をいつ知ったのだろう。
この答えは、安倍首相自身が国会で答弁している。特別防衛監察の結果が公表される3日前の同年7月24日の衆院予算委員会である。共産党の笠井亮議員が「総理御自身は、陸自に日報データが保管されていたことをいつお知りになったんでしょうか」と質問すると、安倍首相は「今御質問の報告については、まだ私は受けておりません」と答弁した。
私は、この答弁を聞いて衝撃を受けた。陸上自衛隊の日報保管については、すでに多くのメディアが防衛省関係者の証言などを基に報じていた。隠蔽の詳しい経緯については特別防衛監察の結果が出るのを待つにしても、陸上自衛隊に日報が保管されているかどうかという事実確認くらいは、やろうと思えばすぐにでもできたはずだ。
しかも、安倍首相は1月に、陸上自衛隊の日報は廃棄されていることを前提とした答弁を衆議院の本会議で行っているのである。事実と異なる答弁をさせられた可能性があるのに、それを自ら確認もしない最高指揮官とはいったい何だろうか。
ただ、この答弁には奇妙な点があった。安倍首相自身がいつ知ったのかという質問なのに、後ろにいた官僚が慌てて首相に寄ってきて「まだ受けていない」と答弁をアシストしたのである。首相自身のことだからアシストは必要ないだろう、と奇妙に思ったのを今でも鮮明に覚えている。