「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由

知られざる「文化と教育の地域格差」
阿部 幸大 プロフィール

大学生を見たことがなかった

私の育った釧路市のような田舎に住む子供の多くは、おかしな話に聞こえるかもしれないが、まず「大学」というものを教育機関として認識することからして難しい。

言い換えれば、大学を「高校の次に進む学校」として捉える機会がないのだ。

高校生の頃の私が「大学」と聞いたとき思い浮かべることができたのは、「白衣を着たハカセが実験室で顕微鏡をのぞいたり、謎の液体が入ったフラスコを振ったりしている場所」という貧しいイメージのみであった。仮に当時の私が「大学には18歳の若者が通ってるんだよ」と教わっても、驚くどころか、意味がよくわからなかっただろう。

たとえば釧路市民にとっての「都会」といえば札幌だが、釧路と札幌は300km、つまり東京―名古屋間と同じくらい離れている。市内には2つの大学があるが、いずれも単科大学である(当時は知らなかったが)。

日本の各都道府県にはそれぞれ総合大学(ユニバーシティ)が設置されているので、最寄りの総合大学からこれほど地理的に離れている地区というのは、全国を見渡しても、離島と北海道の端っこくらいのものであろう。

都市部にも「大学と無縁の環境で育った」という人はいる。だが、この点において田舎と都会で根本的に異なると思われるのは、「文化」や「大学」といった存在が視界に入るかどうか、という差である。

釧路にも大学は存在すると書いたが、しかし子供たちにとってそこは病院などと区別されない「建物」にすぎず、「大学生」という存在にじかに出会ったことは、すくなくとも私は一度もなかったし、また私の場合は親族にも大学卒業者が皆無だったため、高校卒業後の選択肢として「大学進学」をイメージすることは、きわめて困難であった。

それに対して都市部では、たとえば電車に乗れば「〜大学前」といった駅名を耳にすることになるし、そこで乗ってくる大量の若者が「大学生」であることも、なんとなく理解するチャンスはかなり大きくなるだろう。上京して、じっさい私は「世の中にはこんなに大学があったのか」と驚いた。

さらに言えば、私が東大に入学し、なかば憤慨したのは、東大と同じ駒場東大前駅を最寄り駅とする中高一貫校が存在し、その東大進学率が抜群に高いということだった。なんという特権階級だろう! しかも彼らには、自らがその地理的アドバンテージを享受しているという自覚はない。まさに文化的な貴族である。

 

遠すぎて想像がつかない

地域格差の大きさを考えるために、以下のような比較をしてみたい。

たとえば東京に隣接したある県の家庭で、ひとりも大学卒の親族がおらず、しかし、抜群に成績が優秀な子供がいたとする。この子と、たとえば釧路市に住む、やはりひとりも大学卒の親族を持たない、同程度に優秀な子供とを比べてみよう。

それぞれの家庭の親が、「この子を大学に入れようかしら」という発想に至る可能性を想像してみてもらいたい。

前者の場合、仮に経済的な問題があっても、すくなくとも「将来、うちの子はもしかしたら東京の学校に通うことになるのかもしれない」という想像までは働くだろう。なにしろ東京まで電車で1時間程度なのだし、それに都内でなくとも、関東には大学がいくつもある。

だが、後者の場合、親はせいぜい子供の優秀さをなんとなく喜ぶ程度で、大学進学などという発想はいちども脳裏をよぎることがなく、高校の終盤に先生から打診されてはじめてその可能性を知り、やっとのことで「『大学』って……どこにあるんですか?」と反応するといったありさまだ。大袈裟に聞こえるかもしれないが、これは私の実例である。

釧路のように地理的条件が過酷な田舎では「街まで買い物に行く」ことも容易ではないので、たとえば「本やCDを買う」という日常的な行為ひとつとっても、地元の小さな店舗で済ませる以外の選択肢がない。つまり、まともなウィンドウ・ショッピングさえできないのだ。

したがって、私が関東に引越して自宅浪人しはじめたとき、まっさきに行ったのは、大きな書店の参考書売り場に通いつめることであった。見たこともない量の参考書が並んでいる東京の書店で、はじめて私は「釧路では参考書を売っていなかったのだ」ということを知り、悔しがったものである。

田舎者(私)の無知と貧弱な想像力の例をいくつか挙げたが、まさに問題は、この「想像力が奪われている」ということにある。こうした田舎では、とにかく文化と教育への距離が絶望的に遠いがゆえに、それらを想像することじたいから疎外されているのだ。

あまりに遠すぎて想像すらできないこと、これが田舎者の本質的な困難なのである。

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